【スポーツ】昭和初土俵最後の力士51歳華吹 ちゃんこ長の誇り 神戸市にちゃんこ店オープン
鍋には26年間務めた、ちゃんこ長の生き方が詰まっている。昭和・平成・令和と3元号で大相撲の土俵に立った唯一の力士で今年1月に51歳で引退した元三段目の華吹(はなかぜ)の山口大作さん。4月15日、神戸市兵庫区に「ちゃんこ長 華吹」をオープンした。
現役時は勝っても負けても無口で武骨な男。しかし、開店を前に店を訪れ話を聞くと元華吹さんは冗舌で優しいお相撲さんだった。
1986(昭和61)年春場所で初土俵を踏み現役36年。「ちゃんこ長」に指名されたのは入門から丸10年だった。ちゃんこ長になれば稽古の時間が割かれる。相撲界では料理のうまい力士は出世ができないと言われる。だが元華吹さんは、意気に感じ快諾した。
「(相撲界に)入ってくる時、『相撲も大切だけど部屋のことをやることも大切なんだ』と。そう言ってくれる兄弟子がいた。それを守ってやってきた。みんながみんな強くなるわけじゃない。そこはいつか世間に出ないといけない。何か自分でできることを見付けないといけない」。
相撲界では鍋だけでなく食事全般を「ちゃんこ」と呼ぶ。力士は食べることが仕事の一つで量も膨大だ。ちゃんこ番を仕切り、毎日、メニューを決め、時間通りに料理を並べる責任者が「ちゃんこ長」。まさに部屋に不可欠な要なのだ。
縁の下の力持ちには自然と人が集まる。15歳から知る幕内明生、小結豊昇龍らの相談役もたびたび。元華吹さんは弟弟子のことを話すと止まらなかった。
部屋の関係者にも人柄を好まれ、引退後はちゃんこ料理店を出そうと誘われてきた。「そうやって応援してくれる人がいて、こういうふうに店ができるのはありがたい」。相撲は華やかな関取の土俵だけではない。黙って陰で支える男の姿をみんなが見てきた。
ちゃんこの腕を磨いた、その原点には新弟子の頃の立浪部屋の事件があった。1987年、横綱双羽黒がちゃんこの味を発端に先代立浪親方(元関脇羽黒山)と衝突し脱走。そのまま廃業となった。
昭和の時代、新弟子がちゃんこを食べる頃に鍋はほぼ空っぽ。おいしいものを食べたければ強くなれ、が当時の相撲部屋の指導だ。そのため、元華吹さんは、当時のちゃんこの味は覚えていない。
ただ缶詰と残ったちゃんこの野菜でご飯を必死にかきこんだことを記憶する。体重は20キロ減り78キロになった。
若い衆にそんな思いはしてほしくない。元華吹さんは10種以上の鍋を創作し、一品料理も数多く常に食卓に並べた。ただ今は少し豊かになり過ぎた。
「今の子はクエが来ても食べない。食に対して貪欲じゃない。今の子たちは甘えている子も多い。自分らは食事に連れていってもらったら、とことん食べろ、これがお相撲さんの食べ方だと教わった」。昭和と令和-。時代は大きく変わった。
「さみしさは少しあるけど、いずれ通らないといけない道。自分は長くい過ぎた」。“新社会人”は「年取ってるから気疲れがどっときますね」と言いながら「新鮮で楽しいですよ」と笑った。
東京出身ながら兵庫県神戸市に出店した理由もユニークだ。同県宝塚市は30年来の大ファンである宝塚歌劇団のホーム。いつでも観劇に行ける地で第二の人生を“開演”した。
東京の劇場は一人で見に行き、“ヅカファン”同士、つながりもできた。「自分が(宝塚を)見始めた、そのころは真矢みきさん、天海祐希さんとか…。それから芸能界に入って、そこからもすごい。(宝塚の魅力は)こういう人がトップに立つんだろうなと思って見ている」と、相撲同様、出世を見守ることが楽しみだ。
オープン翌日の4月16日、宝塚音楽学校では未来のタカラジェンヌを夢見る少女たちの入学式が行われた。“華吹ぶく”51歳も「すみれの花咲く♫」春に“初日”を迎えた。(デイリースポーツ・荒木 司)
◆「ちゃんこ長 華吹」
〒652-0042神戸市兵庫区東山町2-7-20 湊川公園駅から徒歩5分、東山商店街内
TEL078・511・4129
営業時間 午前11時~午後10時 不定休
26年、立浪部屋のちゃんこ長を務めた元華吹さんが監修し、部屋で作っていた絶品鍋を「一歩でも近づけて」と再現。和牛、鶏、もつ、ホルモンなど肉の種類が豊富で、ボリュームもたっぷりだ。
現在はコロナ禍で席はアクリル板で仕切られ、ランチ、ディナーともに一人鍋が中心。和牛肉鍋(1200円)、和牛鉄スキ鍋(1300円)、鶏と団子の白湯鍋(800円)、モツ鍋(900円)、ホルモンチゲ鍋(900円)とリーズナブルなメニューが並ぶ。予約制で4人用の特製ちゃんこ鍋も用意は可能。
元華吹さんは福山市が本社のタクシー会社に就職。平日は出向する京都で勤務する。そのため、「ちゃんこ長-」に姿を見せるのは週末、土日だけの予定となっている。