【スポーツ】躍進するフィギュア日本人ペア 先人は海を渡ったオリンピアン

 フィギュアスケートのNHK杯で、日本人ペアがGPファイナル(12月9日開幕・大阪)へ前進した。先月のスケートアメリカで日本人ペア初の表彰台となる2位に入った三浦璃来(19)、木原龍一(29)組=木下グループ=が、NHK杯でも3位と健闘。2試合連続で表彰台に立った。ペア結成の2019年から毎試合自己最高を更新し、来年の北京五輪を視野に世界としのぎを削っている。

 ペアは、リフトやスロージャンプなど男性が女性を持ち上げたり投げたりするアクロバティックな競技。シングルよりダイナミックな演技が魅力だが、体格のよい欧米選手に比べて日本人男性には負担が大きい。かつては選手層の薄さや指導者が少ないことなどから、全日本クラスの選手がいない時期もあった。

 三浦、木原の記録に「日本人同士のペア」と前置きされるのは、日本の女性が外国人男性とペアを組んで活路を見いだしてきた歴史による。中でも、06年トリノ五輪に米国代表として出場し、7位に入賞した井上怜奈、10年バンクーバー五輪にロシア代表として4位に入った川口悠子らが実績を残している。

 兵庫県西宮市出身の井上は、15歳だった1992年にアルベールビル五輪にペアで出場。94年リレハンメル五輪には女子シングルで出場した。トリノを目指して米国籍を取得した際には「できれば日本人として五輪を目指したかった。選手層やレベル的なもので難しいので、米国人になることを決断した」と理由を説明した。トリノ五輪には、後に夫になるジョン・ボルドウィンと出場を果たした。

 トリノ五輪の直前、西宮市の井上の実家を取材した。日米両国から3度目の五輪出場を誰よりも喜んだのは母、玲子さんだった。「米国人」になった娘は、国籍を変える時に「私はそれでも日本人だ」と母に告げていた。米国代表であっても、玲子さんの喜びは変わらなかった。

 井上の鋼の意志は、国籍変更だけではなかった。98年に肺がんで父雅彦さんを亡くし、その翌年に自らも肺がんを告知されていた。まだ23歳。拠点を移した米国で診察を受けた結果だった。

 玲子さんは看病のためにすぐに渡米しようとしたが、井上は「絶対に来ないでほしい」とかたくなに拒んだ。「お母さんが来ると気持ちが(緩んで)ダメになりそうだから」と玲子さんに伝えたという。たった独りで抗がん剤の副作用と闘い、がんを克服。練習を休むこともほとんどなかったと玲子さんは話していた。

 三浦、木原もともにペア解消などをへて今のパートナーと巡り会い、カナダを拠点に活動を続けてきた。木原はペア男子としての肉体改造の苦労を語り、10歳年下の三浦は、2人の相性のよさを「言いたいことを言い合えるし、ぶつかっても改善できる」と明かす。

 コロナ禍の中で昨季は試合機会をほとんど失った。それでも夢に向かって道を切り開く強い意思は、先人に通じるものがある。日本人ペアの五輪での過去最高記録は、中学3年生の井上が小山朋昭と出場したアルベールビル五輪の14位。ようやく歴史が動くかもしれない。(デイリースポーツ・船曳陽子)

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