【野球】佐藤輝G戦2戦連発に思う 広島・小早川の鉄人衣笠、怪物江川にまつわるサヨナラ弾

 現役時代の小早川毅彦
小早川(手前)に右翼スタンドへサヨナラ本塁打を打たれマウンド上でがっくり、涙を流した巨人・江川=1987年9月20日
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 阪神のゴールデンルーキー・佐藤輝明内野手(22)が、新人として球団史上初の巨人戦2戦連発弾を放った。巨人の試合で飛び交った本塁打を多く取材してきた中で、印象に残っている1本がある。1987(昭和62)年9月20日。広島市民球場で行われた広島-巨人戦で、小早川毅彦が放ったサヨナラ21号2ランである。

 その試合、私は広島担当記者として戦況を見守っていた。広島の先発は金石昭人、巨人の先発は“怪物”江川卓。両先発の好投などで終盤まで試合はもつれていた。そして迎えた九回裏2死二塁。1点を追う広島のバッターは前打席で20号ソロアーチを放った小早川だった。

 小早川は江川の渾身(こんしん)のストレートを強振。打球は市民球場のライトスタンドへ吸い込まれていった。一塁ベンチ裏で、普段はおとなしい小早川が喜びを爆発させる姿とマウンドでぼうぜんとする江川の姿とのコントラストは今も忘れられない。まるで映画のワンシーンのようだった。

 サヨナラ打を打たれた投手を多くみてきたが、涙まで流す姿はあまり見たことがない。だが、三塁ベンチに引き上げる江川は確かに泣いていた。決して汗が照明で光ったわけではないように思った。しばらく立ちすくんでいたが、いつまでも眺めているわけにはいかない。小早川の取材こそが私の仕事だった。

 実は試合の翌日、鉄人と呼ばれた衣笠祥雄が現役引退を発表する情報があった。衣笠と小早川の関係を考えれば格好のエピソードだった。衣笠は小早川を後継者としてかわいがっていた。打撃の指導はしなかったが、ユニホームの着こなしや帽子のかぶりかたまで教えていた。後輩選手をあまり食事に連れ出さないタイプだったが、小早川をよく焼き肉店やステーキ店に連れていった。

 そんな先輩へのはなむけ弾をどう読者に伝えようか、と興奮気味で記者席に戻った私に、先輩である巨人キャップが発した言葉が飛び込んできた。「あいつ(江川)は泣いていた。サヨナラホームランぐらいで泣くような人間じゃない。引退を決意した涙だ」-。巨人のエースの引退なら大ニュースだ。

 先輩記者はそう言い残すと、原稿も書かずに荷物をまとめ、巨人の宿泊するホテルへと向かっていった。その日の引退発表こそなかったが、後に江川は引退を発表。11月12日の引退会見の席上で「あのとき、自分の野球人生が終わったなあと感じた」と振り返った。

 小早川は誠実な男で、私は諭されたことがある。ウイスキーの水割りをがぶ飲みする私に「そんな飲み方をしちゃダメ。次の日、お酒が残って仕事に支障がでる。飲むなら焼酎のお湯割り。仕事に支障がでるのはプロとして失格ですよ。選手も記者も一緒です」と言ってきたのだ。

 そんな真面目な男が、球史に残るレジェンド2人にまつわる、ど派手な本塁打を放った。それだけに、何年たっても私の中で色あせることはない。取材記者冥利(みょうり)に尽きる一発である。=敬称略=(デイリースポーツ・今野良彦)

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