【野球】大谷の事故渋滞とばっちりで思い出す京産大野球部の悲劇 初V目前で不戦敗

 エンゼルスの大谷翔平投手が先日、交通事故による渋滞に巻き込まれて球場入りが遅れ、アスレチックス戦の登板が回避されるハプニングがあった。

 このニュースを聞いて蘇ったのが38年前の記憶。関西六大学野球秋季リーグ戦で、初優勝を目前にしながら事故渋滞のあおりを受けて大幅遅刻、不戦敗となった京都産業大学の悲劇だ。

 大リーグとはステージが違い過ぎるが、戦うことなく敗れ去ったナインの無念さは計り知れず、今でも忘れることができない。

 1983年10月20日。京産大ナインは大阪・吹田の万博球場で行われる予定だった大商大との第2戦へ向けて、京都市北区上賀茂の野球部寮「五常寮」をマイカー10台ほどに分乗して出発した。

 初戦を落としていたが、すでに勝ち点4を挙げており、この時点でまだ首位。悲願だった初優勝の可能性は十分に残されていた。

 事故は名神高速道路京都-大阪間の天王山トンネル内で発生。トラックの横転が原因だった。この影響で周辺道路も含めて大渋滞となった。

 私はそのとき、万博球場にいた。午前10時30分開始のそれこそ“天王山”となる決戦に備えていた。

 ところが、待っても待っても京産大ナインが現れない。携帯電話のない時代。大商大サイドもしびれを切らし始めころ、ようやく連絡がとれ、「事故渋滞による遅刻」の報告が入った。

 結局、全員が到着したのは正午過ぎ。連盟関係者による緊急会議が開かれ、ナインは球場の外で待機。重苦しい空気が漂う中、私は必死になってカメラのシャッターをきった。

 結論は没収試合となり大商大の不戦勝、京産大の不戦敗が告げられた。この瞬間、ほぼ京産大優勝の可能性は消えた。

 球場記者席を利用した即席の記者会見が始まった。会見を仕切ったのは溝渕義隆さん(57)。当時、京産大の1年生マネジャーで、連盟の公式記録員を兼務していた。

 下級生の溝渕さんにとっては、針のむしろに座るようにしてナインの到着を待ち、マスコミ対応にも追われる辛い1日だった。

 「厳しい質問が(監督に)飛んできたことを今でも覚えてます。マイカー利用そのものを重く見られました。午後7時のNHKのトップニュースで流されたことも鮮明に覚えてます」

 確かに学生の身分で乗用車を使用した球場入りは普通ではない。ただ、バスと電車を乗り継ぎ、3時間近くかけて移動する不便さを思うと、断罪する気にはなれなかった。

 この出来事を境に学内での学生による乗用車の使用が禁止され、「事の重大さを痛感した」と溝渕さんは回想する。

 さらにこんな話も。

 「連盟サイドからもかなりたたかれました。あのころの京産大の学生は、テレビ番組のプロポーズ大作戦やラブアタックなどに出てはフラれる常連のイメージ。野球部員も練習時間が短く、髪の毛も長めで大商大に勝てない万年2位。そういう雰囲気もあって印象がよくなかったと思う」

 かたや当時の大商大は阪神にドラフトされた川原新治と、広島に入団した清川栄治両投手が2枚看板の最強チーム。

 ちなみに最終週までもつれた末、優勝したのは大院大。両者の間隙をついての見事な初Vだった。

 溝渕さんは現在、和歌山市内で新聞販売店の所長をしている。仕事柄、遅延は御法度。

 「遅刻はしたことがないですね。早すぎるぐらい早い準備を心がけています」

 時間に対する意識は強い。過去の苦い記憶は衝撃が強いほど、教訓として生かされるのか。あるいは生来の気質か。

 その後、30数年の時を経て、京産大はリーグ優勝12回を誇る名門に成長している。

(デイリースポーツ・宮田匡二)

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