【野球】背番号「18」VS「10」の決勝戦 様変わりしつつある高校野球を考える

 「選抜高校野球・決勝、東海大相模3-2明豊」(1日、甲子園球場)

 依然として、新型コロナウイルスが猛威を振るう中、2年ぶりのセンバツ大会が閉幕した。熱戦、接戦が多かった今大会。決勝戦でのサヨナラ決着は、2016年の智弁学園(奈良)以来、5年ぶりのことだった。

 全31試合のうち7度の延長戦は1999年、2014年に並んで1大会最多タイ記録。1点差は13試合と接戦、熱戦の好ゲームが多かった。高校野球の聖地に、変わらぬ熱気が戻り始めた一方で、大会ルールは少し様式を変えた。

 この日の決勝戦。両校の先発は東海大相模が、背番号「18」の石川永稀投手(3年)で、明豊が同「10」の太田虎次朗投手(3年)。東海大相模が四回、1死満塁のピンチで起用したのも、背番号「10」の求航太郎投手(2年)だった。エースの石田隼都投手(3年)は、六回2死からの登板。絶対的なエースが初戦から1人で投げ抜く…今大会同様に、そんな戦術は一昔前のことになった。

 加えて、今大会では春夏の甲子園で初めて、昨年から導入された球数制限が適用された。投手の肩、肘など健康を守るため1週間の球数を「500球以内」に制限した。コロナ禍で昨年は春夏の甲子園、秋の明治神宮大会が中止。球数制限自体は、各地で開かれた昨夏の独自大会と昨秋の公式戦でスタートしたが、全国大会では未知の戦いだった。

 そもそも1週間500球以内という設定は、医学的には根拠がない数字だ。当然、課題もあり、改良の余地も残す。中京大中京の畔柳亨丞投手(3年)は、準決勝の四回、5点を奪われると、劣勢ムードを断ち切るため2死から2番手で登板。2回1/3を無安打無失点で5三振を奪ったが、六回を終えてベンチに戻ると右腕に力が入らなかった。理学療法士からチェックを受け、高橋源一郎監督(41)の判断で降板が決まった。

 初戦から3試合で379球。「1週間500球」の球数制限まで121球を残していたが、休養日を挟んでも「すごい疲れが残っていて肘が重かった」と振り返る。わずか31球で無念の降板。明らかに登板過多によるアクシデントだった。

 一方、ルール作りが一定の抑止力になってきたのも、事実だ。市和歌山は2回戦・明豊戦で、エースの小園健太投手(3年)を“温存”。1週間の球数を逆算した上で、五回かマウンドに上がったが、1-2で惜敗した。

 また、天理の達孝太投手(3年)は、準決勝・東海大相模戦のマウンドに上がることなく、ベンチで敗戦の瞬間を迎えた。1回戦で161球、2回戦で134球、準々決勝で164球を投じたプロ注目の右腕。ただ、3月20日が1回戦だった達はルール上、初戦で投げた161球がカウントされず、準決勝では202球の投球が可能だった。

 29日の準々決勝・仙台育英戦後、左脇腹にわずかな痛みを感じた。「バント処理で滑った。可能性としてはその時」と達。肩、肘の痛みではなく、「この試合だけを考えるなら投げられた」とも振り返った。それでも本人だけでなく、中村良二監督も「登板は100%なかった」という。達もハッキリとした言葉で明かした。

 「自分にはメジャーリーガーという目標があるので、ここで故障しては意味がない」

 敗戦後、ここまで明確に自分の意思表示ができることも、数年前までならなかったように思う。ルールの是非はさまざまで、今後も検証、改正が求められるだろう。正解がないだけに難しい問題ではある。春と夏でも違いは出てくる。ただ、議論の活発化で選手1人、1人にも選択肢が広がっていることは事実だ。甲子園も時代に合わせて様式を変えている。(デイリースポーツ・田中政行)

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