【野球】51・5差の最下位から飯田哲也氏が学んだこと 初年度の楽天でプレー

 2005年のパリーグ。球団創設1年目の楽天は38勝97敗1分け、首位ロッテと51・5差、勝率・281の最下位に終わった。オリックスとの分配ドラフトでプロテクトから外れた選手が大半だったのだから致し方なしとの声もあった。まっさらなチームにヤクルトから無償トレードで入団した飯田哲也氏が(母校・拓大紅陵野球部コーチ)。勝てなかった新規参入チームから学んだものは。

 それまで在籍したヤクルトでリーグ優勝、日本一の主力メンバーだった飯田は田尾監督のベテランを使い、勝ちながら若手を育てる方針のもとで戦力としてチーム作りのコーチ的役割としても期待も受けていた。開幕スタメンに名を連ね、この年、54試合の出場で打率・331の成績を残したが、チームは連敗の泥沼にはまる。4月と8月に2度11連敗もした。負けたばかりの悔しさにうちひしがれた。「いかんせん選手がいないからしょうがない面はありましたけど、しょうがないで片づけたくもないし、勝たないとつまらないですし『今日も負けたか、クソッ』と思う日も多かったです」と懐かしそうに話す。

 新規チームは職員も一からのスタート。練習環境、試合環境も全員が学んでいった。8月の仙台といえども、ナイター翌日の屋外球場デーゲームは暑さがこたえた。午後13時のプレーボール。「おじさんばかりだったから、暑い中でたいへんでしたね」。

 ヤクルト時代とは違い、1勝の大変さを学ぶことができた。「東北の人たちの温かい応援はとても印象に残っていますけど、連敗して、たまに勝つと喜び、うれしさが大きかった。勝負事は勝たないといけないと感じた2年間でした。本当にいい経験をした」。

 その後は古巣のヤクルト、ソフトバンクでは昨年までコーチとして常勝チーム作りに励んだ。勝つことで自信をつけ、高めることもあれば、敗戦から学ぶこともあることを体得した楽天時代。今後も指導者として勝つことの喜びを後進に伝えていく。(デイリースポーツ・水足丈夫)

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