【スポーツ】プロレス名物アナ、清野茂樹氏 始まりは広島のFM局

 清野茂樹と言う男を知っているだろうか。日本最大手の新日本プロレス、世界最大手のWWE、世界最高峰の総合格闘技UFCと、史上初めてプロレス格闘技メジャー3団体の実況を達成したフリーアナウンサー。昭和は古舘伊知郎、平成は福澤朗とするならば、21世紀は清野アナがプロレス実況の第一人者と言っていいだろう。その清野アナが24日に著書「コブラツイストに愛をこめて」(立東舎)を出版した。世にも珍しいプロレス実況本を執筆するまでに至った経緯とは、そして、清野アナとはどんな人物なのかを語ってもらった。全3回にわたるインタビュー、その1。

 -そもそも、なぜアナウンサーを志したのですか。

 「フリーアナウンサーとはどこの放送局にも所属しないアナウンサーなので、どこでも自由に仕事ができる。ボクはプロレスの実況がやりたくてフリーアナウンサーになった。プロレスの実況はプロレスを中継している放送局に入社するのが普通ですけど、逆に言うと、その放送局に入らないと実況はできない。だけど、フリーであれば、自分のやり方次第で実況はできるということで、フリーアナウンサーになりました」

 -最初からフリーを目指していた。

 「そうです。そうなるためには修行が必要だろうと。いきなりフリーになる手もあるんですが、ボクの場合は広島エフエム放送という広島県のラジオ局に入社して、そこで10年ほどアナウンサーをやってフリーになりました」

 -計画通りだった。

 「入社する前からそうしようと。ボクは広島ではなく関西の神戸出身なんですよ。でも、縁もゆかりもないところで修行しなきゃと思って、そこで最低限の仕事、例えば『あと30秒で終えて下さい』とか、『3分58秒でニュースを読んで下さい』とか、イベントの司会とかを身につけました」

 -なぜ広島に。

 「大学4年生(青学大)の時に広島エフエム放送の入社試験がエフエム東京であったんですよ。系列局なので。大学の就職課の掲示板を見ていたら広島エフエム放送アナウンサー募集って紙があって、受験地はエフエム東京と。あ、広島じゃなくても受けにいけるんだ、と思って行ったんですよ。行ったらいきなりラジオブースでマイクテストをやると。ブースの中がディズニーランドだと思ってしゃべってくださいとか、ニュース原稿を渡されて読んでくださいとか。そういうのはどこの放送局でもあるんですけど、最後に自己PRをやってくださいと言われて、ボクはプロレスの実況がやりたいと。じゃあ、やってみて、となって、ラジオのブースの中でプロレスの実況をやったんですよ、架空で」

 -どんな試合を思い浮かべて話をしたのですか。

 「広島の放送局だから、直近に広島であった試合ですね。96年の4月4日に広島グリーンアリーナで橋本真也対藤波辰爾のIWGPヘビー級タイトルマッチ(藤波が王座奪取)があったんですよ。それを引っ張り出して適当にやるわけです。『超満員の広島グリーンアリーナから中継でお届けしておりますIWGPヘビー級選手権試合。チャンピオン橋本真也に対して、チャレンジャーの藤波辰爾が今、リング上であります』みたいなことをやったら採用された。きっかけは本当にプロレスなんですよ」

 -プロレスで突破した。

 「そうなんですよ。ボクにはそれしかないので、それで即採用」

 -FM局にプロレス中継はなさそうですが。

 「ないですね。入ったら普通に日々の業務をやるわけですよ。ローカル局ってのは実戦で経験を積めという感じじゃないですか。とりあえず1人でやってこいみたいな。ボクも1人で録音機材抱えて、外でインタビューして、自分で編集して、というのから覚えていく。23歳ぐらいで自分の番組をやりましたね。ボクに限らずみんな早い段階からやらされるんですけど。音楽番組を数多くやらされて、ミュージシャンの取材も多かった。矢沢永吉さんとか宇多田ヒカルさんとかGLAYとか椎名林檎さんとか。そういうことを10年やっていたんですよ。で、ハッと気がつけば、プロレスの実況をやらないといけないのになんで音楽の番組をやってるんだと。これはもうやめるしかないと思ってやめました」

 -気づいて飛び出した。

 「気づいたのもありますが、プロレスの実況をやったんですよ」

 -局アナでそんなことができるのですか。

 「意外とできるもんなんです。新日本プロレスに『広島サンプラザという会場の中だけに電波を飛ばして、ミニFMをやりませんかと』と企画書を出したらOKしてくれたんです。お金も出してくれて。ファンサービスですよね。1個500円で携帯ラジオを貸して、実況が聞ける。それが03年の4月。その評判が良くて、その年8月のG1(クライマックス)両国(国技館)3連戦でも同じことをやろうとなって、それも呼ばれてやったんですよ。交通費も宿泊費もギャラも出て。今思えばいい時代でしたね。藤波辰爾さんが社長の時代ですけど。そういうのが続いて、もともとの目標だったプロレスの実況ができたじゃないですか。じゃあ、もう広島もいいやと思って辞めたんですよ。広島にいるボクをわざわざ呼ぶってことは、人が足らないんだろうなと思って東京に来たのが2005年ですね」(構成 デイリースポーツ・洪経人)

 ◆清野茂樹(きよの・しげき) 1973年8月6日、兵庫県神戸市出身。フリーアナウンサー。青学大卒業後の96年に広島エフエム放送入社。05年に退社してフリーとなり、新日本プロレス、WWE、UFCの3大メジャー団体の実況を史上初めて達成した。ラジオ番組「真夜中のハーリー&レイス」(ラジオ日本)のパーソナリティーを務め、「もえプロ♡女子のための“萌える”プロレスガイドブック」(PARCO出版)、「1000のプロレスレコードを持つ男」(立東舎)などの著書もある。

関連ニュース

編集者のオススメ記事

オピニオンD最新ニュース

もっとみる

    ランキング

    主要ニュース

    リアルタイムランキング

    写真

    話題の写真ランキング

    注目トピックス