【野球】報徳学園・大角監督、流したうれし涙の意味とは…

 今年はうれし涙だった。第100回全国高校野球選手権東兵庫大会決勝で、報徳学園が市尼崎を2-0で破り、8年ぶりとなる夏の甲子園出場を決めた。

 同校OB・大角健二監督(38)は、就任後2度目の夏で初の甲子園出場。勝利後に校歌が流れると、何度も目頭を押さえた。

 「ホッとしました。評価されていた世代なのに、今まではふがいない結果だった。みんなの苦労を思い出して…」。一塁スタンドにあいさつを終えると、涙する選手の姿に、また感情を高ぶらせた。

 学生時代は報徳学園、立命大で主将を務めた。大学卒業後は高校時代の恩師、永田裕治前監督(54)=現高校日本代表監督=に人間性を買われて母校に戻った。

 コーチを経て、13年からは部長。4強に進出した17年センバツ後、永田監督の後を受けて監督に就任した。

 就任当時はセンバツ4強メンバーが残っていたが、結果は残せなかった。昨夏の兵庫大会は、準決勝・神戸国際大付に1-2で惜敗。試合後は人目をはばからずに号泣した。

 「全面的にオレの責任や。君らは強いのに、監督の差で負けた。(夏を自分の)ステップアップの材料にするつもりなんてなかった。だからこそ、この夏は絶対に優勝したかったんや。なのに…」。振り返ると胸が痛む。さい配について書かれた新聞記事を切り抜き、自らを戒めるように財布の中へ入れて持ち歩き続けた。

 今秋ドラフト1位候補・小園海斗内野手(3年)を擁する新チームでも模索が続いた。「今思えば、(就任時は)永田監督には失礼なぐらい楽観的だった。重圧や考えることが多くて…」。兵庫大会は昨秋が3回戦、今春は2回戦で敗退した。

 指導スタイルは近年では珍しいほど厳しい。ただ、一方的に突き放すのではなく、選手とは真っ正面から向き合い続けた。グラウンドを離れても、選手のことを考えすぎるぐらい考えていた。監督になっても厳しい“キャプテン”だった。

 学校では国語科教諭で、授業も野球も全力投球。ルールを破った選手がいたことが分かれば、練習中でも全員を集めて怒鳴り、なぜ怒られたか、どうするべきか、を考えさせた。

 また、夏の大会前の追い込み練習で、学校近くの武庫川沿いを走る時は、どれだけ遅れても選手と一緒に走りきった。

 「甲子園に始まり、甲子園で終わろう」。昨年末の練習締めと、年始の練習始めには、全員の思いを一つにする意図で、全部員と一緒に甲子園までランニング。愚直なまでの熱意は、選手にも伝わっていった。

 小園は「監督からは野球だけではなく、野球以外のことをたくさん学ばせてもらった」と感謝を口にする。

 報徳学園のモットーは「全員野球」。永田前監督の意思を受け継ぎ、大角監督が貫いた姿勢が選手、スタッフ全員を同じ方向へ向く集団へとまとめ上げた。それは、決勝後にほとんどの選手が号泣して抱き合った姿に現れていたように感じる。

 大角監督は決勝後、ベンチ入りメンバー全員と握手して声を掛けた。ベンチ外メンバーがいる一塁スタンドには、何度も手を振った。胴上げ後には「ありがとう」と素直な思いを口にした。その表情に、もう涙はなかった。(デイリースポーツ・西岡誠)

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