【野球】プレーオフ制度の歴史 パ・リーグが前後期制とともに73年、初めて導入

 2007年にセ・パ同時開催となったクライマックスシリーズ(CS)だが、プレーオフ制度を最初に採用したのはパ・リーグだった。1972年11月のオーナー懇談会で、73年度からの2シーズン制実施を承認。前・後期の2期制(各65試合)となり、それぞれの優勝チームがプレーオフを戦って、年度優勝チームを決める形が取られた。

 【プレーオフ元年】導入1年目の73年は前期が野村南海V。後期は西本阪急の独走V。初のプレーオフは関西勢同士の決戦となった。後期は阪急に対し0勝12敗1分けと1勝もできなかった南海だが、プレーオフは初戦白星。2戦目以降は南海の●○●で最終5戦目まで、もつれ込んだ末、2-1で逃げ切った南海が66年以来、7年ぶりのリーグ優勝。これが南海としては最後の優勝となった。

 【2年目以降】73年からの10年間で、プレーオフなしの前・後期完全優勝を果たしたのは76、78年の阪急の2度だけ。81年はロッテ、日本ハムによる初の関東勢決戦。翌82年には79年に参入した西武が、4年目で初のプレーオフ進出からリーグ制覇を果たした。10年目で新興勢力の台頭も見られたプレーオフだったが、83年1月の理事会で新方式付きの1シーズン制実施に変更される。

 新方式とは「130試合の後に勝率上位2球団で5試合のプレーオフを行い、135試合の通算勝率で優勝を決定。ただし、2位が5試合のプレーオフに勝っても、1位の勝率に満たない場合はプレーオフなし」というもの。83~85年はいずれも1位球団が2位球団に5ゲーム差以上離していたため、新方式によるプレーオフは実施されることなく、勝率1位球団がそのまま優勝。85年度をもってプレーオフ制度の廃止が決定した。

 【プレーオフ復活】2003年5月のコミッショナー裁定により、04年からのパ・リーグのプレーオフ制復活が決定。レギュラーシーズン2位と3位が第1Sを戦い、勝者が第2Sで1位と対戦。第2Sの勝者がリーグ優勝球団と定められた。04年は2位の西武が第2Sで1位のダイエーを撃破。日本シリーズでも中日を破り、92年以来12年ぶりの日本一。07年にはセ・リーグもプレーオフ制を導入し、名称もCSに改められた。(デリースポーツ・記録係)

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