【野球】2000安打達成の鳥谷 不断の努力で磨いた「守」が「打」の偉業支える

 阪神・鳥谷はこれまでの1999本と同じように、チームの勝利のためにフルスイングした。8日・DeNA戦の二回。1死一塁で打席に立つと2ボールから3球目。井納のフォークを狙った。リーチを掛けた次の打席で、右中間を破る適時二塁打。節目の2000安打は打点付きだった。

 阪神の生え抜き選手では藤田平氏(デイリースポーツ評論家)に次ぐ2人目の快挙。14年、1956試合、8206打席目での達成となった。偉業を前にチームメートや友人、関係者らにコメントを依頼。返ってきた言葉は、鳥谷の歩んだ野球人生に花を添えた。あふれる才能の上に、不断の努力を重ねた日々。「打」の記録に対する祝福でも、「守」への賛辞が大半を占めた。阪神・平野恵一打撃コーチもその1人だ。

 2学年下の鳥谷と出会ったのは、大学野球日本代表に選出された時だ。「大学の時からの付き合いですから。思い出を語ればキリがないけど」。当時は平野が遊撃手で鳥谷が二塁手。世界相手に二遊間を組んだ2人は時を経て2008年、阪神で二遊間のコンビを組むことになった。

 「ゲッツーを取ろう」-。

 再会した2人の会話は、こんな感じで始まった。当時は中日の荒木雅博、井端弘和(現巨人内野守備走塁コーチ)の「アライバ」コンビが全盛の時代。「2人でゴールデングラブを取ろう。最強の二遊間になるぞ」と励まし合った。守備の要とされるセンターラインを任された2人。作る“呼吸”がチームの命運を左右する。トスの強さや送球のタイミング…。1プレーごとに話し合い、強固に築き上げてきた。

 今季、チーム勝ち頭の12勝を挙げる秋山拓巳投手は、プロ1年目の驚きを忘れない。「僕がルーキーの時に初めて1軍に上がって。トリさんと平野さんの、二遊間のレベルの高さは衝撃的でした。もう、飛んだ所にいる感じ。プロのすごさに驚きました」。2人で何度もヒットをアウトにした。封殺を併殺にしてきた。同世代の能見篤史投手は言う。

 「困った時はショートに打たせておけば、確実にアウトにしてくれた。トリと恵一(平野)の二遊間。そこに打たせるような配球だったり、打ち取り方ばかりを考えていた」

 2011年、2人はそろってゴールデングラブ賞を獲得した。平野が続ける。「これだけは言えることがある。あいつの努力は絶対に誰にもマネできない」。多くの選手も同様に口をそろえる。球場に行けば、黙々とトレーニングに励む鳥谷の姿がある。ロッカールームではおなじみの光景。継続は強さになった。早大野球部の同期で、主将を務めた比嘉寿光氏=元広島内野手、現編成担当=もそうだ。

 「肩はピッチャーもできるようなヤツだった。自主練の時間、あいつはピッチングをやってたから(笑)。スピードガン測らせて140キロオーバー。僕がキャッチャーをやって。指先も起用だし。あいつがイップスになったのみたことない。スローイングで悩んでいるもの見たことない」

 ただ、技術だけがすごかったわけじゃない。並外れた練習量。現在、米大リーグ・メッツに所属する青木宣親と2人、背中で伝統を作ってきたという。

 「青木もそうだけど、ウチらの代から下の子たちが、毎年2、3人プロに行けるようになったのは、あの2人の存在が大きい。練習するのが当たり前な感じだったから。その日、試合があって3本ヒット打った試合でも、寮に帰って普通に練習してたから。一番うまいやつらがそれだけ練習するのに、出てないやつが練習しなきゃ勝てない。それでみんな必死に練習したから」

 鳥谷らの翌年には田中浩康(DeNA)、さらに翌年に武内晋一(ヤクルト)らがプロ入りした。上本博紀(阪神)や、近年では茂木栄五郎(楽天)らも同様。多くのプロ選手を輩出する土壌を作った。史上50人目の2000安打。「打」の偉業で語られる「守」の栄誉。不断の努力で磨いた守備力が、鳥谷の2000安打を支えていた。(デイリースポーツ・田中政行)

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