【芸能】北島三郎らの師…故・船村徹氏は偉大な“父”歌作りの前に人作り

 戦後の歌謡界に大きな功績を残し今月16日に心不全のため死去した作曲家・船村徹さん(享年84)。数多くの楽曲をこの世に送り出しただけでなく、師匠として北島三郎(80)、鳥羽一郎(64)ら多くの歌手を育て上げた。

 そんな弟子たちはみな「父親」と言って慕った。80歳の北島も「この人がいなければ、北島三郎はいなかった。実の父が死んでいるし、北島三郎としての父親である師匠がオヤジだ」といっていたほど。師弟は固い絆で結ばれていた。

 というのも、船村氏の独特の歌手育成があったから。門下生は全員、歌手を目指して門をたたいた。だが、ほとんど歌を教えることはなかったという。その代わりに弟子には、さまざまな経験をさせた。

 北島も「いきなりスケート場に連れていかれて滑らされた」という。ほかにも、いきなりゴルフ場に連れていかれ、ラウンドさせられた者もいる。また、北島は通いの外弟子だったが、鳥羽ら住み込みで一緒に生活した内弟子は、普段の生活をともにして、経験を積んだ。家の中に暖炉があり、そこで使う薪(まき)割りは日課。風呂、食事など身の回りのものをすべて担当する。

 「自分への徳となるものは、そこらじゅうにある。何かを経験することで、得るものがたくさんあるんだ」。歌手デビューするために、歌手を育成するのでなく、まず人を育てた。

 それは、その人物の人生を考えての親心からだ。華々しい芸能界。スターになればバラ色の人生だが、その座をつかめるのはわずかな人のみ。「歌で成功するのは難しい。だから、どんな状況に置かれても生きていけるように。またどこに行っても恥ずかしくないように」という思いだった。そのため、ゴルフなど余暇の経験だけでなく、実社会に生かせると船舶免許などの資格も取得させた。

 デビュー9年目。その前は10年間、船村氏の弟子として修業した走裕介(43)は「とにかく弟子を思って、さまざまな経験をさせてくれました。歌はほとんど教えてもらっていないです。見て盗めという感じで、歌手でなく、立派な人を作る感じでした。今の自分があるのは師匠のおかげです」と感謝した。

 昭和の匂いが残る歌を、歌手を世に輩出してきた船村さん。その陰には、こんな昭和の古き良き固い師弟関係もあった。(デイリースポーツ・栗原正史)

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