南野陽子 震災から20年…神戸を指針に

 6434人の尊い命が奪われた阪神・淡路大震災から17日で20年。発生時刻の午前5時46分、各地で鎮魂の祈りがささげられた。神戸市中央区の東遊園地には『1995 1・17』とかたどられた竹灯籠が並び、1万4000人が黙とう。淡路島の北淡震災記念公園は「アメイジング・グレイス」の歌声で包まれ、諏訪山からは東日本大震災の復興チャリティーソング「花は咲く」を奏でるトランペットの音色が響いた。

 関西出身で東京を拠点とする芸能人も、故郷を襲った悲劇を忘れることはない。兵庫県で生まれ育ち、中学からデビュー直前の高校2年まで神戸の学校に通った女優の南野陽子も、そんな1人だ。

 「どの土地でも言うかもしれませんが、神戸の人は特に地元愛が強いと思うんです。『We love KOBE』って言うくらいだし。オシャレな町はちょっと自慢したくなるし、誇れるところで」。その“証拠”に南野のアルバム曲「春景色」には、『神戸線』や市内に実在した『アイランド・キャフェ』といった、神戸ゆかりの歌詞が盛り込まれている。

 20年前の1月、南野は祖母の葬儀のために15日まで宝塚市にある実家に滞在。震災が起こったのは、東京の自宅に戻った2日後だった。朝、倒壊した阪神高速をテレビで見てぼう然としてから、都内のドラマロケ現場へと向かった。

 「ロケバスのラジオで、亡くなった方の人数がどんどん増えていくのを聞いて、気持ちがざわめきました。もちろん自分のお仕事は責任持ってしなければならないけど、『それどころじゃないでしょ』という思いも強くて…」

 実家は壁に亀裂が入る程度の被害だったが、同級生が1人犠牲となった。「ショックでしたし、自分の恵まれた環境を恨みたくなるような気持ちにもなりました」。2月にお別れ会に出席するために、震災後初めて神戸を訪れたが、「酔うと言ったら変なんですけど、建物が前や後ろに倒れて方向が一定じゃなくて、自分が正しく立てているのかも分からなくて」。学生時代の思い出が詰まった町並みは失われていた。

 あれから20年後の1月17日、南野は神戸市長田区でフリーライブ「ONE HEART」に出演。神戸の復興を願って作詞・作曲された「しあわせ運べるように」の歌詞を朗読した。その後、地元小学生が歌声を続ける姿に、「皆さんが一生懸命生きてこられたからこそ、神戸の町がここまでになったんだと思います…」と涙をこぼした。

 同曲は東日本大震災の被災地や、新潟県中越地震で被災した山古志村でも、歌詞の一部を替えて歌われている。「全国でいろんな災害が起きましたが、被災された方々にとって、今の神戸はお手本です。外から見てすごく復興したように感じる神戸のように、自分たちも頑張ろうと思ってる人は、たくさんいるはずなので」。“美し都”神戸が取り戻した光は、天災に苦しみ、立ち上がろうとしている人々の指針となるはずだ。

(デイリースポーツ・丸尾匠)

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