玄関前に一脚の椅子…阪神社長夫人秘話
冷たい風が吹きつける師走の頃は、夜回りをする記者たちには厳しい季節だ。「夜回り」とは取材対象者宅を夜に訪ね歩くこと。早朝に動く「朝駆け」とともに、昔から変わらないネタの確認方法である。
携帯電話で直接やりとりできる今でも、念押しの言質取りにはやはり、顔を見て、その一言一句を脳みそに刻み込んで「では失礼します」と素早く“回れ右”するのが鉄則。だから記者たちは朝駆けし、夜回りをする。ご苦労様です。みなさん、風邪を引かぬよう頑張ってください。
「もうしばらくは帰ってきそうにありませんから、どうかこの椅子に座って待っていただけますか……」
夜回りが厳しい時期になると、いつも思い出すのがプロ野球・阪神タイガースの球団社長だった三好一彦氏の自宅前での出来事だ。
【歴代の阪神タイガース球団社長の任期(1978年~)】
1978(昭和53)年10月11日 退任=長田陸夫※後藤次男監督辞任 就任=小津正次郎
1984(昭和59)年10月23日 退任=小津正次郎※安藤統男監督辞任 就任=中埜 肇
1985(昭和60)年8月12日 退任=中埜 肇(日航機事故で死去) 10月21日 就任=岡崎義人
1988(昭和63)年6月10日 退任=岡崎義人 就任=見掛道夫
1990(平成2)年12月25日 退任=見掛道夫 就任=三好一彦
1998(平成10)年10月7日 退任=三好一彦※吉田義男監督辞任 就任=高田順弘
2001(平成13)年3月8日 退任=高田順弘 就任=野崎勝義
2005(平成17)年1月1日 退任=野崎勝義 就任=牧田俊洋
2007(平成19)年6月29日 退任=牧田俊洋 就任=南 信男
ここ30年間の在任表を見ても分かる通り、8年に及んだ同氏の任期は球団史上でも希有の長さだった。ホームタウンで発生した阪神大震災(1995年)にも遭遇し、タイガースにとってはまさに激動の時期だったと言える。
チーム内外に山積する難問。必然的に、どうしてもグラウンドよりも球場外での取材が多くなる。西宮市内の住宅地に建つ同氏宅には、ほぼ毎晩のように各社のトラ番たちが夜回りに訪れていた。在宅時の三好元社長は丁寧に対応するのが常だった。それに甘え、何かにつけて足を運ぶ記者が多くいた。
私もその1人だった。師走の夜回りでのこと。主を待って芸もなく電信柱のたもとで突っ立っていた記者を見かねて、夫人が玄関に出てきた。「もうしばらくは帰ってきそうにありませんから、どうかこれに座って待っていただけますか……」。そう言って扉脇に置いたのが一脚の椅子だ。
恐縮しながらものうのうと腰を下ろした私を、その時どんな思いで夫人が眺めていたかと考えれば、今も顔から汗が噴き出す。何十人、何百人ものマスコミ人と相対してきたはずの彼女だから、大体のことはお見通しだっただろう。寒風の中で「立ちん坊」しかできない記者。他に行くところは?知恵を絞って!‐。口にしたかった多くの言葉を飲み込み、若造を椅子に座らせたあの師走の夜。
先日、訃報が届いた。三好博子さん。享年76。肺炎で入院して1カ月、10月31日に急逝された。
夫妻でボランティア活動に取り組み、路上で生活する子供たちを救援するシステム作りに奔走していた。人望を集めた2人のそばでは、常に近隣からの来客で賑わっていた。年末には追悼の式が行われる。彼女の慈愛の深さが、いまさらながら伝わってきた。
来し方行く末に思いが巡る師走の頃。またどこかで「一脚の椅子」に座ることはあるのだろうか。きょうも編集局から若い記者たちが夜回りに飛び出していく。冷たい風に負けぬよう、己を奮い立たせて。
(デイリースポーツ・善積健也)