P・マッカートニー、永遠のジ・エンド

 2012年7月27日(現地時間)、スポーツ記者としてロンドン五輪開会式を取材した。大トリを飾ったのはポール・マッカートニー。彼が登場したのは深夜0時を回っていただろうか。夏だというのに底冷えのする五輪スタジアムのメディア席で寒さに震え、半袖シャツの二の腕をさすりながら、小指の先くらいの大きさのポールが歌う、ほぼ世界中で知られているであろうスタンダード・ナンバー「ヘイ・ジュード」と、大半の人がイントロかと思って(?)スルーしたであろう“もう1曲”を聴いた。その“もう1曲”が1年4カ月後、ポールの日本公演を締めくくる曲になるとは、当時、思いもしなかった。

 それは「ジ・エンド」という曲。ビートルズが最後に制作した実質的なラストアルバム『アビイ・ロード』(69年)のB面で、彼らの歴史に終止符を打つべく構成されたメドレーの最後を締める曲であり、メンバーによるドラムやギターのソロ演奏後に展開されるポールの歌唱部分は正味30秒という小品だ。そのコーダ(終結)部分を冒頭で歌い、「ヘイ・ジュード」につなげていた。(※当時はレコード盤を裏返す“間(ま)”を意識した楽曲構成なので、やはりアナログ盤のB面として話を進めます)。

 日本のスポーツメディアにおいて、五輪開会式でポールが歌った曲として報じられたのは、ほぼ「ヘイ・ジュード」のみだったが、ビートルズ最後の曲を採用した意図をくんだつもりで、記事には「ジ・エンド」という曲名も加えた。個人的な音楽嗜好(しこう)としては、正直、開会式のポールよりも、閉会式に登場したザ・フーへの思い入れの方が強かったし、ビートルズで好きな曲は「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「トゥモロー・ネヴァー・ノウズ」といったジョン・レノンの曲が多いのだが、ポールに関しては『アビイ・ロード』B面メドレーが素晴らしく、“我が意を得たり”という思いもあった。

 2013年11月18日、東京ドーム。東京公演の初日、幸いにもチケットを購入させていただき、観客として三塁側3階席に開演直前に座ると、“ポール師匠”の登場を知らせるべく、流れてきた(落語風に言えば)“出ばやし”が「ジ・エンド」のBGMだった。ここで、12年夏のロンドンと13年秋の東京がつながった。ロンドンでは頭上に冷たい夏の夜空が広がっていたけれど、東京に空は無い…って、高村光太郎の「智恵子抄」ではないが、ドームの屋根の下、確かに彼はいた。

 年の瀬ということもあり、ここからはしばし、本題である「ジ・エンド」話から寄り道して、公演の本編で何曲か取り上げられた“追悼”の選曲に思いを巡らしてみたい。

 20世紀の音楽文化遺産と言っていいであろうビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(67年)からジョン作品「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」を凶弾に倒れて33年になる盟友に捧げ(12月8日が命日)、ジョージ・ハリスン(11月29日が命日)を悼んだ『アビイ・ロード』収録「サムシング」のウクレレ弾き語りでは、これはあくまで個人的な思いだが、ウクレレつながりで今年亡くなった漫談家・牧伸二さんがふと脳裏をかすめた。

 また、ポールが「ジミ・ヘンドリックスに捧げる」とコメントして演奏したウイングスの「レット・ミー・ロール・イット」では、音楽性がかけ離れているようでいて、実は“ジミヘン”にいち早く注目していた器の大きさが伝わった。70年に27歳で早世したジミヘンは、生きていれば今年でポールと同じ71歳。そう言えば、「あまちゃん」の小ネタ(※橋本愛演じるユイの自称彼氏“ハゼ・ヘンドリックス”)の中で、その名が唐突に引用されて日本のお茶の間に流れたように、今も伝説は生きている(強引か?)。

 追悼曲のほかで、最も印象的だったのが、アコースティックギター一本で歌い上げた、68年のアルバム『ザ・ビートルズ』(通称・ホワイトアルバム)収録曲の「ブラックバード」。かつて、マイク・タイソンがジェームス・ダグラスにKOされた同会場で、5万人の観衆がポールの生ギター一本によってKOされた。背筋に(アコースティックなのに)電気が走った。

 本題に戻ろう。2度目のアンコール。静謐(ひつ)な「イエスタディ」から、ハードな「ヘルター・スケルター」という“優等生→不良”的な振り幅の広さと多面性を披露して、最後のメドレーへなだれ込んだ。「ゴールデン・スランバー」「キャリー・ザット・ウェイト」、そして「ジ・エンド」で大団円。この「キャリー~」には同じ『アビイ・ロード』B面に収められている「ユー・ネバー・ギブ・ミー・ユア・マネー」のフレーズが挿入され、表裏一体の構成になっているのだが、その部分を耳にした瞬間、宇多田ヒカルの言葉を思い出した。

 公演1カ月前。宇多田がパーソナリティーを務めるインターFMの音楽番組「KUMA POWER HOUR with Utada Hikaru」(毎月第3火曜夜)の10月15日放送分が、母・藤圭子さんの死後、公には“初の肉声”ということで注目されたが、その回を聴いていると、彼女は「ビートルズの中で一番好きな曲」として、「ユー・ネバー~」をかけた。先述のB面メドレーと連動する曲だ。この曲が英国から世に出た69年、日本では18歳の歌手・藤圭子が「新宿の女」でデビューし、ポールが日本公演を締めくくるメドレー曲内で「ユー・ネバー~」のフレーズを披露した44年後の今年、彼女は亡くなった。そんな因縁も、もちろん“後付け”とは百も承知で、追悼の意を込めて思った。

 そして、2時間40分に渡る“ポール主演の大作映画”が文字通りの「ジ・エンド」で幕を閉じた。当初、これが見納めと(私もそうだった)、駆けつけた方も多かろうが、充実した今公演の内容と体力を目の当たりにするにつけ、“次”を期待させる“終わり”だった。ただ、今回の来日公演を実現するのに約10年の歳月を要したように、「すぐ」ということはなさそうだ。年齢的なことを考慮すれば“近い将来”だとしても70代半ば。“次”が現実となる可能性は低いかもしれない。だが、亡くなった人たちの思いも背負いながら、古希を越えてなお成長し、巨大な“音楽山脈”としてそびえ立つポールと同じ空間を共有できたという記憶は、何度でも脳内再生できる。

 ポールは「重荷を背負っていく」(キャリー・ザット・ウェイトの意味)という歌詞を残してビートルズを終わらせ、21世紀の今も走り続けている。彼にとって“終わり”は常に“始まり”。永遠の「ジ・エンド」だ。ちなみに同曲の短い歌詞の和訳は「あなたが得る愛は、あなたが与える愛に等しい」となる。

 私のすぐ斜め前の席には、ポールと同世代の、ある名優が座っておられた。お互い、実年齢よりはるかに若々しい。日本の伝統芸能を背負いつつ、テレビドラマ、映画、舞台と幅広く活躍される大御所は、座したまま、ポールに真っすぐな視線を投げかけていた。国やジャンルは違えど、同じ表現者としてどのような思いを抱かれたのだろうか。うかがうことはかなわなかったが、その視線は「ジ・エンド」の歌詞ではないが、力強い何か(愛)を得た確信に満ちていたと勝手ながら思う。そして、それに等しい力(愛)を今後も舞台から観客に与えていかれることだろう。今回の日本公演を体験した26万人もまた、それぞれの“何か(サムシング)”を得たはず。“祭り”は終わったが、音楽は鳴り止まない。

(デイリースポーツ・北村泰介)

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