芦田愛菜の主演映画「演技が適確だからこそ、彼女が意図していてないものを」
新興宗教に深く傾倒していく両親を持つ15歳の少女の、心の揺らぎ・・・。女優・芦田愛菜が6年ぶりに主演を果たす映画『星の子』が、10月9日から公開される。
黒木華、樹木希林が出演した『日々是好日』、長澤まさみ主演の『Mother マザー』が今年公開されるなど、充実した仕事が続く大森立嗣監督による新作だ。来阪した監督に、芦田愛菜を通じて映画を通じて描きたかったことや作品への思いを訊いた。
取材・文/春岡勇二
「社会の道徳に汚される前の自由さを持っている人間が好き」──原作を手にされたのはいつでしたか?
『日日是好日』(18年)の撮影に入る前に、『日日是好日』のプロデューサーから手渡されました。主人公の、15歳の少女の心がゆらゆらと揺れているのが面白かったですね。
──そのときはもう映画化される前提だったのでしょうか?
いや、そうはっきり言われていたわけではなかったですが、プロデューサーから「読んでみて」って渡されたら、そういうこともあるかってことですから。読んで、映画化されるのなら自分がやりたいと思いました。
──少女の心がゆらゆら揺れているのを撮りたいと・・・。
そうです。そこに惹かれました。
──監督の最近の作品を振り返ると、『日日是好日』のあと、『タロウのバカ』(19年)と『Mother マザー』(20年)を撮られて本作になるわけですが、この2本は10代の少年の、家族や社会への揺れる思いが題材になっています。監督のなかにいまこの題材を撮っておきたいという気持ちがあるのでしょうか。
いや、このあたりの流れは偶然です。『タロウ~』の脚本はずいぶん前からあって、このタイミングで撮れたというだけで。『マザー』もかなり脚本が出来上がってからの参加でしたから。ただ、これまでもずっと社会の外側にいる人間を描いてきましたし、10代のまだ社会に染まる前の、社会の道徳に汚される前の自由さを持っている人間が好きで、興味はずっとあります。
──映画化が決まった段階で、芦田愛菜さんの主演は決まっていたのですか?
決まってなかったです。脚本が出来上がって、さてどうするかって感じでした。オーディションで選ぼうという話もあったのですが、役柄から考えて、これは芦田さんだろうっていう思いがあって、ダメもとでオファーしてみようってことになったんです。そうしたら「やります」ってお返事をいただいて。
──芦田さんの主演が決まったとき、監督はどう思われました?
前々作、前作と、まったく演技経験のない男の子を主演に映画を作ってきて、それはそれで面白かったんですが、今度は国民の誰もが知る、10代にして大女優の雰囲気がある人を主演に撮るのかって、その振れ幅を考えるとすごいなって、自分自身でも思いましたね(笑)。
「ステレオタイプな少女にはしたくなかった」──実際に芦田さんに会ってみて、どうでした?
やっぱりすごく頭のいい人だなって感じました。ただ、それがちょっと心配でもありました。事前にものを考えすぎて来ちゃうんじゃないかっていう気配を感じたんです。実際に撮影に入ってしばらくはそういうことがありました。
──例えばそれは、どういったところですか?
彼女は現場に迷惑を掛けまいとして、台詞も完全に入れてきて、「ここはこういう言い方でいいですか」みたいに訊いてくることがあったんです。そんなときは「それは現場で、共演者とのやりとりで生まれてきたものでいきましょう」って答えました。
──現場で生まれる感情を大事にしてほしいということですね。
そうです。また、彼女は身長があまり高くないのですが、それで共演者と並んだりして同じ画面に映ると身長差があるんです。それって大事で、それによって彼女自身の肉体性とか他者との関係性が映画のなかに生まれるわけで、こっちはそれをしっかり丁寧に撮りたいわけです。
──芦田愛菜が主人公を演じることによって生まれるものを撮りたいということですね。
彼女は経験も技術もあるので、本人が役柄に近づいていこうとするのですが、そうではなくて、役柄を本人に近づけてほしいと、そんな感じのことは言いました。
──彼女がふとした瞬間に見せる表情が丁寧に捉えられていると思いました。
窓辺でたたずむ彼女の顔とかですよね。あの顔は現場で見ていて、急に撮ることにしたんです。だから、彼女自身もどんな表情をしていいのかわからない様子で、それがよかった。ただ、急に撮ることになってスタッフは慌ててましたけど(笑)。
──少女の揺らぎを撮りたいけれど、役柄の少女のものというより、その役を近づけた芦田愛菜本人の揺らぎを撮りたいと。
そうでないと観ている人に訴えないですよね。でも、実は芦田さんの経験に助けられた部分も随分ありました。彼女の演技はともかく適確でしたから。演技が適確だからこそ、こっちはその背中や一人でいる様子など、彼女が意図していなかったであろうものを狙うことで、観ている人にいろいろと考えてもらう映像が撮れたと思います。
──主人公の役柄が、10代の多感な時期に大好きな両親が新興宗教に熱心で、少女自身はフラットな立場にいるけれど、周囲からはいろいろと言われる、難しい役ですよね。
面倒くさいところに身を置かれてますよね。ただ、少女自身は身体も心もいたって健やかで元気なんです。他人とのコミュニケーション能力も決して低くはない。むしろ中学3年生にしてはしっかりしています。それに、両親も少女のことをすごく愛しています。健やかなのはその証しですよね。
──少女が学校で、親友やその親友を好きな男の子と3人でいるときなど、ほんとに活き活きとしていて、ごく普通の、どこにでもいる女の子の印象です。
悩みを持っている子は暗く沈みがち、なんていうステレオタイプな少女にはしたくなかったですから。分かりやすくするためなのか、映画ではそういった決めつけられたキャラクターが多いですよね。
実はいま、自分が何本か映画を撮ってきて思うのは、映画にはもう少し、いろいろなものが描ける可能性があるんじゃないかってことなんです。そのためにも、初めから意味や印象を限定してしまうようなものは外していかないと。
──多くの映画で、人間が一面的に描かれているのは残念です。ところで、親友を演じた新音(にのん)と、彼女を好きな男の子役の田村飛呂人がいいですね。
3人揃うと、撮影していないところで爆笑とかしていて、ほんとのクラスメートみたいでした(笑)。前2作の男の子同様、飛呂人も演技経験がほとんどなかったですが、芦田さんがうまく受け止めてくれて、そういうところも助かりました。
結局は、映画全体として芦田さんの経験とこちらが撮りたかったものが、うまく合致してくれたように思います。
「主人公も観る側も考え続けることによって、意味が深まる」──新興宗教が大きなモチーフとして出てきますが、これも、これまで映画で描かれてきたよくある視点からのアプローチでなかったのも印象的でした。
新興宗教を信奉する人たちVSそれに反目する人たちといった、単純な二項対立にはしていません。主人公の少女は両者の間で揺れるわけですし。また、彼女のほかにも、さまざまな形で教団に関わる人たちが出てきます。
──少女の同級生で、幼いときは教団に距離を置いていたのに、いまは少し積極的になっている女の子や、出演シーンはわずかですが、普通に話せるのに、信者である親をはじめ、だれにも口を閉ざしている少年などに興味を引かれました。
そういう子たちもまた、少女があれこれと考えをめぐらす要因になっていくわけです。宗教に染まった家を嫌って家出している少女の姉もそうですね。
──教団の若い幹部を演じた高良健吾さんと黒木華さんも存在感がありましたし、教団の総会の様子などしっかりと描かれているなと思いました。
新興宗教がテーマでもなんでもないんですが、そこはいろいろ調べておかしくないようにはしました。助監督たちも張り切って調べてきてくれるんですよ。
──そしてラストシーンですが、監督は主人公の少女をどう捉えていますか?
彼女は、これからもずっと考え続けることをやめなければ、大丈夫だと思っています。彼女にはいくつか悩みがありますが、なんでも本音で言い合える友人もいるし、両親も彼女ことを愛し、気づかってくれてもいる。
彼女も両親のことは大好きですし。映画の中盤である諍いがあって、実はラストシーンまで家族3人がゆっくり話すシーンはないんです。その間にも彼女はずっと考えて続けているはずだし、そんな彼女なら間違った方向にはいかない、そんな気がしています。
──両親を演じる永瀬正敏さんも原田知世さんもやさしいですよね。そんななか少女が教団に対して懐疑的になってきているのは、禁止されているコーヒーを飲むところからもうかがえます。
彼女がこれから教団とどう向き合っていくかはわかりません。両親はきっと変わらないでしょうし。でも、彼女も自分をしっかりと持つことで成長していきます。コーヒーが飲めるようになるのは、少女の大人への成長という意味もあるんです(笑)。
──そう聞くと、いろいろ考えるべきところが浮かんできます。
観てくれた人に考えてほしいんです。実は、原作は一人称で書かれているのですが、今回、ナレーションは一切使ってないんです。少女の台詞も極力少なくしています。それは観ている人が見出そうとする意味を、台詞が限定してしまうのを避けるためです。
ましてナレーションで心情を語ってしまったらなんにもならない。観る側にとっては難しくなる面もあるけれど、主人公も観る側も考え続けることによって、意味は深まっていくと思うんです。そのための、考えることを促したり手助けしたりするポイントはぎりぎり掬えるようにしたつもりです。
──最終的に必要なのは、観る側の考えるという働きかけですね。
そう願えれば、と思っています。
(Lmaga.jp)