吉田恵輔監督×安田顕による変態的怪作、映画『愛しのアイリーン』を語る

森田剛主演の『ヒメアノ~ル』で世のジャニーズファンを震撼させ、オリジナル脚本で描いた『犬猿』では兄弟姉妹ならではの嫉妬や憎悪を描いた吉田恵輔監督。最大の褒め言葉として「変態!」がもっとも似合う吉田監督が、次なる題材に選んだのは、「嫁不足」「外国人妻」といった社会問題を真っ向から取り組んだ新井英樹の原作『愛しのアイリーン』。まさに吉田恵輔の真骨頂となった傑作映画について、主演の安田顕ともども話を訊いた。

取材・文/ミルクマン斉藤 写真/上地智

「苦しかった、ホント苦しかったぁ」(安田顕)

──よく作家にとって「これが集大成」って言われる作品がありますよね。監督にとって、ひょっとすると本作はそんな映画じゃないかと思うんですが。

吉田「そうなんです。そう思ってくれる人と、終わったなって思う人に分かれるんじゃないかな?」

──原作は1996年に完結した漫画ですよね。知らなければオリジナル脚本としか思えないけど、映画観た後に新井英樹さんの原作を読むと、そうしたディテールのほとんどが既に描かれているのに驚きました。

吉田「そう。だから逆なんですよ、実は。俺の映画は、原作の『愛しのアイリーン』の影響なんです。まさに、俺の映画作りの根幹にあるものをついに作ったっていう感じなんです。むしろここがスタートなんですね」

──そう感じました。原作を読んで、この映画は新井さんへの信仰告白みたいなもんだと。ここから先、どうするんですか?

吉田「もう、犬を撮ったり、壁ドン撮ったりするしかない。で、金だけもらっとく(笑)。この映画を撮ったら、あとはどこまで堕ちるんだ? でいいんじゃないですかね」

──あはは(笑)。まさに集大成であり、原点って感じですね。

吉田「だから、何でしょうね・・・。これが本当にステキな思い出になっちゃってるんですよ。夏の撮影が終わってから『去年の夏・・・』みたいにしゅーんとなっちゃって。今までこんなことなかったんですよ。撮り終わったらサクッと、『はい、次の作品』みたいな感じで。でも今回は、『あぁ、俺の青春が終わっちゃった』というか」

──監督には映画『犬猿』(2018年2月公開)のとき、大阪でインタビューしましたよね。そのとき、確かフィリピン・ロケから帰られたところで、前日まで高熱を出していたと。なのに「明日からまた冬山なんだよ」っておっしゃっていて。

吉田「39度とか熱があるのに、大阪に連れて行かれて(笑)。それなのに次の日、ロケハンがまだ終わってなかったんで、雪山を歩かされましたよ。地獄でしたね(笑)」

──原作への思い入れが深いのが分かりますねぇ。それはともかく、この新井さんの原作って、さっきも言いましたけど20年前に描かれたとは思えないし、今も現状はさほど変わっていない。監督も当時の話として撮ってませんよね。

吉田「あの原作は20年後を予感していたものだということです。新井さんの漫画ってあとから本当に起きるんですよ。例えば、『キーチVS』で牛肉の偽装事件みたいなことを描いたら実際に起こったり、『ザ・ワールド・イズ・マイン』なんか9・11を予言しているぐらいの感覚だし。ホントに時代を先取りしまくってて。だからもしかしたら、『愛しのアイリーン』も時代がひと廻りして巡ってきたのかなと」

安田「いいか悪いかはさて置いて、『人身売買』ってその頃からあったじゃないですか? そんなことを思ってしまいますよね」

吉田「そうそう、『じゃぱゆきさん』なんて今もあるし、最近も斡旋してた人が捕まったって事件があって。(劇中で)捕まるシーンがあって、作り物の記事を書かないといけなかったんですけど、そのニュース原稿を手に入れたりしましたから」

──そして、「カネ」というものが大きく関わってきますよね。愛どころか何も無いところでも、主人公の岩男とフィリピン妻のアイリーンの間にはカネが介在しているし。面白いのはそのコンプレックスというか負い目から、人間的な感情の繋がりが生まれてもまた、夫婦なのにカネで肉体を買うという捻じれた現象を生じさせてしまう(笑)。

吉田「そうですよね。岩男は、本当はもっと自分の愛を素直に示したいんだけど、こうして欲しいという要求も上手くできない。金を払ったら向こうが傷つくことも分かってるんだけれど、不器用というか。岩男自身も恋愛経験がそんなに無いから、自分がアイリーンをどれだけ愛しているかもよく分かってない。『俺、愛しているのか? でもすげームカツクし』みたいな。そこが見ていて苦しいんだけど、なんか人間味があっていいんですよね」

──劇中で起こるある事件の後、岩男とアイリーンの関係は明らかに次の段階に進むじゃないですか。肉体的にも精神的にも豹変しますしね(笑)。でも、岩男の悶々とした感情はある意味、最高潮に達するんですが、安田さんは演じていてどうでした?

安田「苦しかった。うん、ホント苦しかったぁ。撮影に入る前に監督から熱い思いを伺って、『内面の問題です』と。これに応えるには、演技の上手い下手じゃなくって、もう自分をさらけ出すしかないって思ったんです。本質を出していかないと嘘になっちゃう・・・まあ、映画は嘘なんだけど、(岩男がアイリーンにセックスの対価として)カネを撒くでしょ? 自分の本質はここにもあるんだなと確認させられたときは辛かったです。『お前もこうなんだよ』って言われてるような気がして」

──その本質というのは、安田さんが日本人であるということも含めて?

安田「うんうん。というか、怯えですね。アイリーンに『ゴー・フィリピン』と言ったとき、初めて愛を知るわけですよ。でもあまりにもピュアだから、その後に訪れる恐怖とか猜疑心とか、人間の醜いところ、絶対隠したいところ、見たくないところを僕自身も見てしまったんです」

──人間の上っ面を引っぺがしていくところが、まさに吉田監督の本領ですからね。

安田「そう(笑)。だから、よく訊かれるんですよ。『吉田監督ってどんな人?』って。要するに、吉田監督(の人柄)は作品から見えないわけじゃないですか。『いや、いたって常識人ですよ』ってところから始めなくちゃいけないんです(笑)」

吉田「俺、この間、あるCMディレクターさんと飲みに行くとき、『うちの若いディレクターにも刺激になるから、呼んでいいですか?』って言われて、『あぁ、ぜひぜひ』って言ったんだけど、女の子のディレクターは来なかったんですよ。どうやら俺の映画を知らなかった子みたいで、会う前に急いで観たら『絶対に怖い』と来なかった(笑)」

──とんだド変態だと(笑)。『銀の匙』(2014年)とか観りゃよかったのに、『ヒメアノ~ル』(2016年)とか見ちゃったんでしょうね(爆)。

吉田「なんか『ずっと自分の恥部を覗かれててそうでイヤだ』と来なかったです(笑)」

──まあ仕方ない(笑)。人間の恥部をちょっとした仕草から覗き、伺い、観察してあからさまに描いてしまいますからね、吉田監督は。

吉田「だいたい飲み会の帰りの電車のなかでは、飲み会でのメンバーの言動をメモってますからね」

──あぁ・・・すごいですね(笑)。

吉田「俺、そのまんま映画で使いますからね(笑)。新作を公開するたびにいろんな人から連絡来るんですよ、元カノとか。『私が言ったこと、そのまんまよく描くな』って。いやいや、だって面白いじゃんって(笑)」

「本当にゼロから作るっていうのはそう無い」(吉田恵輔監督)

──とはいえ、別にここまで描かなくても・・・というような、人間がフッとやってしまう恥ずかしいことが監督の作品には常にあって。今回も例えば、岩男と吉岡愛子が最初にセックスするとき、愛子が漏らしちゃうとか(笑)。ここまでやらなくてもと思いつつ、まあ、吉田恵輔だからそりゃ絶対にやるよなって。でも、後で原作を読んだらそのまま描かれている。ああ、これが吉田恵輔における人間観察のオリジンなんだと思ったんです。

吉田「そう。新井さんが原点なんです。俺にとって神様なんですよね。映画化にあたって、新井さんと初めてお会いしたんですけど、漫画家だろうと映画(監督)だろうと、同じ作家として話すと急に自分がニセモノのような感じがしてきて。でも、そのあと何回か新井さんと飲んでると、新井さんもちばてつやさんに憧れていたと。だから結局、どんなスゴい人でも誰かに憧れてて、影響を受けてるんですよね」

──たしかにそうですね。

吉田「で、新井先生の一番好きな映画が沖田修一監督の『横道世之介』(2013年)というんで、何故ですか?って訊いたら『人に影響を受けても恥ずかしいことじゃないって救われた』って言うんです。『え!? こんなオリジナリティに溢れている人でも、自分のことニセモノだと思っているんだ』って。だったら俺もいいやって。今は『俺がオリジナル』なんて言ってる奴は、逆に分かってない奴だとすら思うんだよね」

──なるほど。どんなオリジネイターでも、絶対に強烈な影響を受けたもの、オリジンはあるという。

吉田「どんな影響を受けても自分の味を出しつつ、細かい発見を更新するやり方はいくつもあると思うんですよ。『これってまだ、誰もやったことないよな』っていうのは。本当にゼロから作るっていうのはそう無い。だから、上手いこと騙せればいいんじゃない、って(笑)」

──人間の見せたくない部分を好んで露悪的に描いていく、それも喜劇的に・・・となると、日本には今村昌平という大監督がいましたよね。『愛しのアイリーン』も最後は姥捨ての話になるけれど、どうも新井さんは今村版『楢山節考』が好きだって話も漏れ聞きました。まあ、それは映画を観てても関連付けはするんだけれど、今村監督と吉田監督は全然違いますよね。

吉田「ですね。正直、今村監督の映画はそんなに好きでもないですし」

──ま、僕もそうなんですけれど。特に『楢山節考』のあたりは。

吉田「新井さんは、今村さんが好きな気がするんだけど、俺は若干悪意を持って姥捨ての描き方を、違う目線で撮ってる感じがある。新井さんの原作は好きだけど、俺は俺の好きなように撮るからと。俺は俺の目線でやっていくからいいや、って。もともと新井さんは『女ふたりが戦う話をやる』ってとこから始まって、最終的には姥捨てをイメージしたらしいし。そこに(フェデリコ・)フェリーニの『道』の主人公・ザンパノが、岩男に混じってきたという感覚ですかね」

──吉田監督は『道』もあんまり好きじゃないでしょ?(笑)

吉田「あまり好きじゃないです(笑)。針が少しずれると全然乗れなかったりするんですよ。『横道世之介』も別に退屈はしないんだけど、沖田修一さんのなかではそれほど好きじゃない。まあ、そういう趣味は別れて当然ですから」

──そこはもう、全然趣味の問題で。

吉田「だから『アイリーン』も、新井さんが描きたかったものを俺が体現する必要は無いと思っていて。俺がやりたい『アイリーン』を作れればいいと。新井さんの描きたいことは漫画に詰まってるから、だから『みなさん漫画も読んでみて』でいいや、と」

──全体的な筋はもちろん、いかにも吉田恵輔的なディテールに繋がる部分はかなりそのままですが、過剰にコミカルなところやあり得なさすぎる設定はけっこう省略・改変してますよね。

吉田「『アイリーン』は何回も読んでいるけれど、俺が絶対に飛ばすシーンがあるんですよ。例えば、岩男が力持ちなところにはあまり興味が無いんですね。イノシシを引きちぎったり。それよりも鬱屈して怯えて表情が固まったり、そういう岩男の痛さというか、傷ついた内面をどう誤魔化そうとするかとか、そういうところが好きだったんですよ」

安田「映画として良かったなと思うのは、生まれた環境があって、閉塞感のある町があって、日常があって、ああいう環境に育って、コミュニケーション能力を失って・・・という岩男の痛さが、ちゃんとクローズアップされたなと思うんですよね。20年前と変わらないテーマに収束できたのは、そういう見た目のフリーキーさではなくて、内面的なところにいけた結果なのかなと」

──岩男にしても母親から過剰な愛を受けることによってネジ曲がったというより、村全体というか、あの環境で自分をどう表現したらいいのか分からないまま40歳まで来ちゃったという感じがどうもありますよね。あと、監督らしいキャラだなあと思ったのが、岩男と見合いさせられる琴美という女性(笑)。

吉田「あれは、桜まゆみさんという女優です。上手いし、地味だし。なんか可愛い子だとイヤなんですよね。可愛いとお客さんが『岩男よ、(アイリーンじゃなくて)その子でいいじゃん』ってなっちゃうから。だからギリギリのラインで。新井先生も『よく丁度いいところ見つけてきますねぇ』って(笑)。あの子はこれから頑張って欲しいですね。テレビドラマ『宮本から君へ』(新井英樹原作)にも出てました、酒井敏也さんの事務所の相方役で」

──あ、そうでしたか! 桜まゆみさん、ちょっと注目株という気が僕もしましたね。キャラといえば、原作から激変しているのが伊勢谷友介さん演じる女衒(ぜげん)の塩崎です。

吉田「原作の塩崎のキャラクター自体があまり好きじゃないんですよ、あまりにもファンタジーで。それをもうちょっと現実に落とし込んだんです。伊勢谷さんのシーンはもっとあったんですけど切っちゃったんですよね。塩崎の葛藤みたいなものも少し描いたんだけど、なんか要らねぇなと思って、だいぶ削りましたね。自分の生理的なところで、ファンタジーと現実のギリギリのところで」

──でも原作とは違って、塩崎を日本とフィリピンとのハーフと設定することで、両国の関係性に切り裂かれたようなアンビヴァレント(相反する)な感情が表面に打ち出されて、物語の要になっている。日本に憎しみを抱きながら、日本人相手にフィリピン女性を売る。なぜそんなことをしているか自分でも分かっていないところを、アイリーンによって突きつけられる。そこで言葉を詰まらせてしまう。

吉田「まぁ、原作はそういうキャラクターじゃあまりにもないから。だからファンタジーとして突き抜けてるところが好きな人には『ごめんね』って思うけど、俺はそこまでファンタジーしたくないから。原作ファンとかはどうでもいい。俺の場合、いつもそうなんですけどね(笑)」

(Lmaga.jp)

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