北原里英「数万のいいね!も、ひとりの体温には勝てない」

「犯罪史上、もっとも可愛い殺人犯」とネットで神格化された当時11歳の少女、通称サニー。その14年後に動き出したサニーを巡る新たな事件を描いた映画『サニー/32』。メガホンをとるのは、公開ごとに代表作を塗り替え続ける白石和彌監督。そして、本作で主人公を演じるのは、NGT48卒業を発表した北原里英。過酷な撮影にも果敢に挑んだ女優・北原里英に話を訊いた。

取材・文/田辺ユウキ 写真/木村正史

「アイドルとして堂々たる振る舞いをすれば・・・」(北原里英)

──北原さんはこれまで映画、ドラマへの出演に積極的なイメージがあるのですが、それにしても今回は「女優・北原里英」が覚醒した感があります。というか、この映画のなかでは文字通り「覚醒」するシーンもあるわけですが。

こんなにみっちりお芝居に取り組んだことは初めてでしたし、ピエール瀧さん、リリー・フランキーさん、門脇麦さんら一流の俳優さんたちと過ごすことができて、とても刺激的でした。ただ、あの中盤の覚醒シーンは、撮影前からずっと不安でした。

──北原さん演じる主人公・藤井赤理は、中盤までサニーらしい一面を見せない。それが、あるきっかけでサニーとしての狂気が大爆発するんですよね。あの立ち居振る舞いは圧巻でした。

その日の撮影を「Xデー」と呼ぶくらい、しっかり芝居ができるかどうか心配でした。白石監督もきっとそうだったはずで、セリフの読み合わせをやっても掴めなくて、そもそも赤理が誰に感情をぶつけているのか、台本を読むだけでは想像がつかなかったです。ほぼ順撮りでやらせていただいたおかげで、あそこまで感情を持っていけました。

──あの覚醒シーンで、赤理だけではなく北原さん本人もちゃんとサニーになりきれたんじゃないでしょうか。

まさに洗脳のようでしたね。前半は受けの芝居で、周りのみなさんがサニーにすることをひたすら受け続ける。でも中盤以降は、自分から発信するものが多くなる。覚醒シーンを撮ってからは、カメラがまわっていないところでも、自分が主演として引っぱらなくてはいけないんだという自覚が生まれました。

──そのあたりから、捨て身のような気迫がありました。

追い込まれた環境のなかでのお芝居だったからだと思います。大雪のなかにポーンと放り出されたりして(笑)。でも、そのくらいやってくださった方が、お芝居としては気持ちが入る。そのおかげで、本当の表情が出ました。

──北原さんは2007年からAKB48、そして2015年からはNGT48の一員としてアイドル活動をされてますよね。たとえば、映画ではサニーの熱心な信者たちが、彼女に救いを求めるところ。あれはアイドルとファンの関係性に似ているのかな、と。

実は、アイドルを10年もやっているのにそのあたりの自覚がないんです。と言うのも、私は自分自身をアイドルだとはっきり意識して活動していたわけではありませんでした。もっとアイドルとして堂々たる振る舞いをすれば良かったなというこの10年の後悔と反省もあります。だから、サニーがあんな風に熱狂的に愛されているという設定に対して、正直、どうしていいのか分かりませんでした。

──でも、握手会などでファンが北原さんにそれぞれの想いを伝えますよね? そういったご経験が生きているのではないですか?

無意識ではありますが、もしかするとそうかもしれません。そういえば、グループ卒業が間近になってきて、私のことを好きになった方や、あと「精神的に追いつめられたとき、里英ちゃんがいたから頑張れた」と言ってくれる方が増えてきたように感じました。自分はアイドルとしての自覚が足りなかったけれど、完成した映画を観たとき、アイドルの仕事は誰かの支えに必ずなっているんだと考えられるようになりました。

「ネットで何千、何万人が相手をしてくれていても・・・」(北原里英)

──白石監督は間違いなくサニーをアイドル的に描いていますよね。

撮影前から白石監督は、「アイドル映画」を撮りたいとおっしゃっていたんです。アイドルの偶像性、虚像性を題材として、特に現代のネット社会におけるアイドルの姿を映した映画です。SNSなどを通じて誰でも(アイドルに)なることができる時代の中、サニーという偶像がネットでひとり歩きし、実際のところは誰が本物か分からないし、逆を言えば誰だってサニーを名乗ることができます。つまり、サニーは現代のアイドルであり、そういう意味での「アイドル映画」ですよね。

──ネットの文化は、発言などのソース元があっても、伝え方、発信の仕方次第で情報がどんどんねじ曲がっていきます。

私ももっと上手くSNSを使うことができれば、もう少し人気があったのかもと思うのですが(笑)。

──ハハハ(笑)。

ネットは、伝わり方次第で人を神格化させることができます。ただ、赤理はサニーとして覚醒するとき、人を殴り、蹴り、そして抱きしめます。つまり、誰かと直接触れ合うことの意味を訴えています。ネットで何千、何万人が相手をしてくれていても、たったひとり直接抱きしめてくれる人がいなければ、それはすごく寂しいことです。数万人の閲覧者も、数万のいいね!も、ひとりの体温には勝つことはできないと思います。

──サニーとして神格化した赤理はその後、悩める人々に説法をおこなうわけですが、決して難しいことは言っていないですよね。すごくわかりやすい言葉で、相手に直接ぶつけてくれる。ただ、こういった説法はネットで拡散すると、どこかでねじ曲がったり、違う意味で捉えられたりするんですよね。

そう思います。ネットの情報はとても便利だし、媒体として発達すること自体はいいことだと思います。でも、その場で直接聞くと明らかに良い意味であったり、冗談に聞こえたりする内容でも、文字にすると温度感やニュアンスが変化してしまうことがあります。私自身もそれで誤解を招いたことがあります。しかもそういった情報は、発信すると絶対にどこかに残って消すことができません。

──情報が残ってしまうことの悲劇の産物こそ、大人になったサニーなんですよね。情報が残るから、人々はいつまでも幻影や面影を追ってしまう。結果、自分の過ちを償おうにも、償えない状況になります。

そう、サニーは弱者です。全員、そういった表面上では分からないものを抱えています。赤理を拉致する、ピエール瀧さん演じる柏原勲もものすごく怖いですが、愛おしく感じられる弱さも持っています。

──ラストはまさにそれを象徴するようなシーンですよね。あのエンディングは観ている側も救われます。発言した本人の意図が誤解されることが多い今だからこそ、赤理のあの行動にメッセージ性が生まれる。まさに今おっしゃったことですよね。

あのラストはクランクアップした数カ月後に追撮したものです。それまではもう少し濁す終わり方だったのですが、編集をしているときに白石監督が「追加で撮りたい」となったそうです。白石監督作品のなかでも、観終わってこんなにスッキリするものはなかったのではないでしょうか。

──読み込めば読み込むほど、この映画は面白い。ただ資料には、北原さんのコメントとして「アイドルである私が主演なので、それで鑑賞を避けられてしまうかもしれません」と書かれています。そういったおかしな固定概念やアンチズムのせいで、正当な評価が成されていないことが最近は多いと思うのですが。

私もグループを卒業しても一生、元AKB48、元NGT48と言われると思います。それはすごく武器にもなるし、時には足かせになるかもしれない。でも、自分の努力次第できっと変えられると思っています。私が目標としている小池栄子さんも、かつてはバラエティや雑誌のグラビアを中心にご活躍されていましたが、現在では日本を代表するような演劇人です。きっと、ご本人の並々ならぬ努力があったからだと思います。

──この映画を観ると、女優・北原里英を期待せずにはいられませんよ。ちなみに北原さんは、ご自身でどういう演技がもっとも得意だと感じていらっしゃいますか。

殴られるシーンです(笑)。白石監督にも、「受けの芝居が上手くなっている」と褒めていただくことがありました。以前も別のお仕事で「殴られるのが上手」と言われたことがあって。『マジすか学園』(テレビ東京系列)で殴られてばかりいるキャラクターだったので、それで上手くなったのかもしれません(笑)。

(Lmaga.jp)

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