ジブリ独立後初の長編「メアリと魔女の花」 米林監督の挑戦

『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』などのジブリ作品で原画を担当。その後、2010年に『借りぐらしのアリエッティ』、2014年に『思い出のマーニー』を監督した米林宏昌が、ジブリ退社後に西村義明プロデューサーとともに設立した「スタジオポノック」で新作に挑戦。その長編第一弾作品となるのが、現在公開中のアニメーション映画『メアリと魔女の花』だ。主人公は、天真爛漫な赤毛の少女・メアリ。米林宏昌監督に、映画評論家・ミルクマン斉藤が話を訊いた。

取材・文/ミルクマン斉藤

「変化にこそ魅力があると思っていて」(米林監督)

──『思い出のマーニー』から3年ぶりの新作ですね。ジブリの活動休止以後、「スタジオポノック」という新スタジオをいちから立ち上げて・・・ということを考えると、3年というのは割と順調な気もしますが。

それ以上時間をかけると忘れられてしまうのではないか、という思いはありました。作りたいものの理想はあったけど、それを「スタジオジブリ」じゃない場所で作るということがいかに大変か全然判らないところからスタートしたので、なんとか完成できたというのはすごくうれしく感じますね。

──「スタジオジブリ」にいらっしゃった頃は、メインではない、いわば陰の部分担当という感じでしたよね。

陰の部分担当ではありませんが(笑)、多くの人が「ジブリ」=「宮崎駿」だと思っているということでしょうか。

──『借りぐらしのアリエッティ』『思い出のマーニー』は、宮崎監督や高畑監督のテイストはないんだけれど、非常に特異な魅力を持った作品だったと思います。しかし、今回驚くのは、いかにも宮崎駿的な冒険譚ですよね。「マーニー」とはまさに正反対。

「スタジオジブリ」のここ最近の映画が、最後には別れが訪れるような静かな話が多くなってきていて。宮崎監督も歳を重ねてそういうところに重点を置くようになっていったのだと思いますけれども。でも、今から新しく作るのであればもっとエネルギッシュな話を作りたいね、と西村プロデューサーと話をして。西村さんが娘さんからこう言われたらしいんです、「パパの作る映画は面白いんだけど、なんで悲しい話ばかりなの?」って。

──それは由々しき問題ですね(苦笑)。

子どもにとって別れは、感動ではなく悲しい体験なんですよね。やっぱり子どもに見せるんであれば、別れじゃなく出会いによる感動や、頑張っている姿を見てもらおうと、そういうところからスタートしたんです。そして、アニメーション的にも躍動感のあるものにして、物語が次から次に展開していくもの。『思い出のマーニー』もすごく好きな作品なんですけれども、話がなかなか展開しないんですよね。同じ場所で、少女の心のなかだけで進んでいる物語だった。だから今回は、メアリは考えるよりも前に足が動いちゃう、そんな女の子にしたんです。

──『思い出のマーニー』の場合、主人公の杏奈は「目に見えない魔法の輪」の外と内に住んでるものの世界は分断されていて、自分は外側に居る者だと思いこんでる女の子でしたが、メアリはそういう内省的というか疎外感というか、そもそもそういうことを考えてもいない。

そういった意味では、『思い出のマーニー』と逆の、「あっ!」と思ったらもう走り出しているような。

──でも、やはり赤毛であることがコンプレックスだったりして、自分も変わりたいと内心思っているのは共通しているところでもありますよね。

やっぱり主人公は、変化にこそ魅力があると思っていて。メアリも最初は鏡を見てコンプレックスを気にしているんだけれど、いざエンドア大学(魔法の国にある魔法世界最大学府)に行くと、その赤毛を褒められて調子に乗るんです。でも、最終的にはそういうコンプレックスなんかどうでもよくなって、結んでいた髪をふりほどいて前に進んでいくという。そういう少女の力強さみたいなものを描けないかなぁと思って。

──それもたった1日ちょっとの出来事という。

若い人というのはそういうものです。小さなことのよう見えるけど、少女にとっては大きな一歩。これは『思い出のマーニー』のときもそう描きましたが、多くの人に共感してもらえるんじゃないかなと思ったんです。

──3作続けてイングランドというか、スコットランドというか、ケルト文化的な匂いのする原作を選ばれていますけれども、それは監督の趣味でしょうか。

いや、偶然ですね。前2作は鈴木(敏夫)プロデューサーで、今作は西村プロデューサーが選びました。でも、イギリス児童文学には面白い作品がいっぱいあります。ファンタジーのなかにも、大人が子どものために込めたテーマが隠されているんです。『借りぐらしのアリエッティ』(原作はメアリー・ノートン『床下の小人たち』)だと、戦争によって身を隠している人々が投影されていたり、児童向けの本であっても、すぐれた文学性を持っている作品が多いですね。

──今回新訳が出たので、この機に読んだんですけれども、映画ではだいぶん改変されていますね。

そうですね。アニメーション的に面白い描写はたくさんあるんですけれど、映画として描くにはテーマがひとつ足りないなと思って。

──前2作に比べると、より子ども向けな感じがしますからね。

子ども向けというか、メアリの冒険物語としてはすごく良いのだけど、映画として描くのであればもうひとつテーマが必要だろうと。「変身動物」というのが出てきますが、この変身をテーマにしたらいいんじゃないかと。マダム・マンブルチューク(エンドア大学の校長)やドクター・デイ(魔法科学者)がやろうとしている壮大な変身実験の物語と、主人公・メアリの変身・・・つまり成長ですよね。これが組み合わさったときに何か面白いものにならないかなって。

「世界に誇れる強力な美術集団の力を借りられた」(米林監督)

──アニメーション的にも、アクションのなかに変身が盛り込まれていますよね。変身というか、メタモルフォーゼ(変容・変態・転生)ですが。

メタモルフォーゼは、アニメーションの醍醐味のひとつだと思っているので、そういうところも描きたいと。アニメーターも動かすのが得意な人に参加していただき、自由にやってもらいました。

──前2作にそういう要素は少なかったのですが、改めて考えてみると米林監督って、『崖の上のポニョ』のあの大メタモルフォーゼ(海底から脱出したポニョたちが魚の波に変容しながら浮上するシーン)を描かれたわけですからね。こういうシーンが大胆に展開しても当然なんだな、と。

アニメーターとしてやっていたときは、そういう部分を担当することが多くて。でも前作、前々作では自分の得意なところを出す機会が無かったので、今回はふんだんに入れていってみたんですけれどね。大変でした(笑)。

──今回、アニメーター勢はどうやって集めたんですか?

「スタジオジブリ」では、それこそ宮崎監督の作品のために精鋭たちが集まっていて。そういう環境で制作ができたというのは本当にありがたかったと、今身に染みて思います。今回は、西村プロデューサーと2人でスタートしたんですけれど、なかなか人が集まらなくて。最終的には、ジブリでお世話になった人たちが参加してくださり、また初めてご一緒する方たちもたくさんいて、そういう人たちの力をもらって出来たのが今作だなと思っています。

──結果として、多くの才能が集まったと。

そうですね。それに、僕は絵コンテと全然違うものが上がってきても、面白ければ採用するタイプなんです。(絵コンテを)こんな風に捉えてきたのかという。そういったいろんな人の力が集まると、(作品全体としては)ボコボコするんですけれども、それこそが多くの人たちで作る面白さなんだろうと思っていて。筋をひとつ通して全体をコントロールしていけば、多少ボコボコになっても面白い作品になると。そういう意味で、大きい受け皿を最初に用意しておいて、自由にいろんな人たちに画を描いてもらいました。

──存分に個々人の持ち味を発揮してください、みたいな。

それが面白かったですね。「スタジオジブリ」で旧知の仲間たちもそうなんですが、初めてご一緒する人たちの力も見ることができたのは面白かった。

──ハイブリッドすることで、せっかくだから「スタジオジブリ」と違うものが生まれるとより楽しいと思いますけどね。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の撮影監督だった福士享さんらが今回参加してくれて、冒頭のシーンなんかもそうなんですけれども、やっぱり「スタジオジブリ」ではないようなエフェクトをかけてくださってますし。こういう風になるんだと勉強になりました。とはいえ、あらゆる部署でジブリ出身の人が多数集まったので、ジブリ色が濃いかも知れないですけれど。

──それは疑いようがありませんね。

でも、良いんじゃないかなと。僕らは誇りを持ってこの手法で描いてきたし、今回は今までやってきたものにプラスしていく方向でやっていこうかなと思いました。今後はどうするかは、まだ決めてませんが。

──エンドロールのスタッフ・クレジットを見てると、男鹿和雄さんに武重洋二さんという巨匠の名もあります。資料を拝見すると「でほぎゃらりー」という別会社を立ち上げられたようですが。

背景美術というのは、作品の品格を決める重要なポジションなんですけど、人材が散らばっていくと、テレビの背景をやったり、いろんなことに忙殺されて消えていってしまう。それはすごくもったいないんじゃないかと、西村プロデューサーやドワンゴの川上(量生)さん、カラーの庵野(秀明)さんと、「スタジオポノック」の前に作った会社なんです。今回が、「でほぎゃらりー」の1回目長編作品なんですけれども。元ジブリの方と、そうでない方がたくさんいるんですけれども、世界に誇れる強力な美術集団の力を借りられたのは良かったですね。

「あの楽器を教えてくれたのは、高畑勲監督」(米林監督)

──今回もまた米林監督らしい、非常に緻密なミニアチュール趣味ともいえる美術があちこちで見られますよね。

最初はもっと絵っぽさを出したおおらかな美術を、久保(友孝:「でほぎゃらりー」所属の美術監督)さんからは提案されたんですけれども、やっぱりお客さんの立場に立ったら、本物に見えててほしい。筆ムラを減らしてもらったりディテールを加えていくうちに、どんどん細かくなってきて(笑)。

──やはり米林作品には、細密な美術は欠かせませんから。

美術の力というのを信じているので、今回も美しいシーンをどんどん入れていこうと思って。実際にイギリスにロケハンに行って、向こうで感じたものや、植物などの自然物、調度品などの描写は作品に取り込んでいっていますね。

──異世界に入って、エンドア大学に着く直前の雲海の様相もすごかったですね。魔法世界に降りてきたところの風景はかなり幻想的で、ロジャー・ディーン(世界的に有名な、イングランドのイラストレーター、アートデザイナー)みたいな感じもちょっとあって。

ああいう光の加減を作り上げられるのが、31歳の若い久保さんなんです。『思い出のマーニー』冒頭の公園シーンや、マーニーと杏奈が背中合わせになってるポスターを描いてくれたり。その持ち味を十二分に活かした作品にしたいなと思ったので。結構難しいことをやってるんですよね、夜明け前から夜が明けるまでをカットごとに描いてくれたり。

──物語が1日ちょっとの話だから、陽の光の移ろいというのが大事になってきますものね。

それがうまく描ければ美しい作品になるだろうし。原作からそうなんですけれども、けっこう夜が舞台になっているので。夜に旅立つシーンの光源を何にしようかとかね。真っ暗になってしまいますし(笑)。シーンごとに工夫しながらなんとかやり遂げました。

──前2作に続いて・・・と言っていいと思うのですが、今回もまたケルティックな音楽ですね。最初から最後までハンマー・ダルシマーがずっと響いていて。

あの楽器を教えてくれたのは、高畑勲監督なんです。

──そうなんですか。高畑監督の映画で聴こえましたっけ?

いや、高畑監督は使っていないんですよ。「こういう楽器がありますよ」と教えていただいて、調べてみると、メアリの世界観に合いそうだなと。で、村松(崇継)さんに頼んで作曲してもらったんです。村松さんもダルシマーを使った演奏はしたことはなかったので、アメリカの演奏者ジョシュア・メシックさんにお願いして。SEKAI NO OWARIの間奏の部分もダルシマーを使っているんですけれども、日本ではメロディーを演奏できる人が見つからなくて、結局それもジョシュアさんにお願いしました。物語のなかから最後の主題歌へ上手く移っていけたので良かったなと。

──米林作品では特殊な音色を用いた音楽もひとつの重要な要素ですよね。前もハープだったり、ギターだったり、室内楽的で繊細な音楽が映画にぴったりでした。

弦楽器を使うと、「響く」というか、センチメンタルなリズムが演出できるんです。今回は飛行シーンなどに、ダルシマーの音が合うだろうなと思っていました。それにメアリが後半、そのダルシマーの流れるなかピーターを救うために走っていく。一貫してダルシマーがメアリの走っているシーンに合わせることで、よりメアリを応援したくなるようになったなと思って。毎回いろんなものに助けられながらやっているわけですよ、音楽であったり、声であったりとかね。

──でも、1本の映画を作るのにそうした細かいひとつひとつの要素は大切ですよね。

そうですね。音楽が付くことで見えてくるシーンがあったりとかしますからね。作画が遅れていたので、音楽をつけるタイミングもすごく逼迫して、かなりギリギリのところだったのだけれども、まぁ結果的に良いものが上がって、さすが村松さんだなと思いましたね。

(Lmaga.jp)

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