33歳の俊英・石井裕也監督「到達点ではなく出発点」

日常的なことばで現代人の憂鬱や希望を鮮やかに浮き彫りにし、弱冠21歳で中原中也賞(2008年)を受賞した詩人・最果タヒ(さいはて・たひ)。その彼女の第4詩集『夜空はいつでも最高密度の青色だ』が、なんと同名映画化された。監督したのは『舟を編む』(2013年)、『ぼくたちの家族』(2014年)などの代表作を持つ、33歳の俊英・石井裕也監督。注目・期待ともに今年いちばんの映画の誕生だ。

取材・文/春岡勇二

「感性をフル動員しなければ太刀打ちできない」(石井裕也監督)

──原作というか、映画の出発点になっているのが、最果タヒさんの同名現代詩集です。詩集の映画化という企画は面白いと思ったのですが、監督が以前から最果さんのファンだったり、詩集の映画化を構想してたりなどあったのですか?

いや、今回の始まりはそういうことではなく、プロデューサーの孫家邦さんから最果さんのこの詩集を渡されたんです。「これを映画にしてみないか?」ということだったんですが、そこにさらに課題みたいなものを示された気がしたんです。

──プロデューサーからの挑発ですね。それはどういう課題だったんですか?

孫さんと『舟を編む』を作ったとき、「物語をもう少し引いた目で観ろ。映画全体を俯瞰しろ」みたいなことをずっと言われていたんです。それを今度は逆に、「以前のお前の感覚で撮ってみろ。感覚を取り戻せ」と言われたように思ったんです。はっきりと言われたわけではないですが、そのように感じたんです。なにしろ相手は「詩」ですから、こちらの感性をフル動員しなければ太刀打ちできないし。だから、孫さんからこの詩集を見せられたとき、今度はこうきたかっていう感じで面白いなと思いました。

──なるほど。では、実際に詩集から映画を構想するということは、いかがでしたか?

楽しかったですね(笑)。自由を感じることができました。というのも、小説とか物語原作を映画化するときは、物語の構造を映画的にどう変換するかをまず考えるわけですが、今回の「詩」には物語そのものはないので、自分が感じた気分を物語や構造に変換するわけで、その作業は非常に面白かったです。

──一読した段階で、どこまで構想が築かれました?

まず、東京を舞台にしたボーイ・ミーツ・ガールの物語であること。主人公の男女の性格もおぼろげに視えていました。さらにヒントになっていたのが、実は前に考えていた企画が流れたことで、池松(壮亮)くんのスケジュールが空いているのもわかっていたので(笑)、男の主人公は彼でいこうと。池松くん主演のラブストーリーを構想するのはそう難しいことではないですから。

「池松くんの『万能性』を奪ってみたかった」(石井裕也監督)

──あとはキャラクターの肉づけですね。その意味で今回、池松さんは左目がほとんど見えない青年という設定になっています。これはどこからの発想だったのですか?

ふたつ理由があります。ひとつは、今の時代の気分として「世界の全貌なんてもはや視ることはできない、視させてはもらえない」というのがあるじゃないですか、それを自分なりに表現してみたかったということ。もうひとつは、池松くんが持っている「万能性」みたいなものから、なにかを奪ってみたかったんです。例えば「自由」とか。制約とか制限を与えたときに見えてくる、新しい池松壮亮に期待したというか。

──その話をうかがって、以前、マキノ雅弘監督に聞いた話を思い出しました。マキノ監督も俳優になにか個性を持たせようとするとき、ある種の不自由さを与えるんですね、身体の一部が動かしにくいといった。するとそこに思わぬ色気が生まれたりして俳優が光ることが多い。確かに今の池松さんにはできないことなど、なさそうですものね。

そうです。それと池松くんの「万能性」を奪う仕掛けをもうひとつ施しました。それは彼の「お喋り」。

──ああ、そうですね。特に前半、池松さんがほとんど意味をなさないような話を早口で捲し立てるシーン、あれがそうですね。

ええ。ただ、あの表現にも、彼の「万能性」を奪うことのほかに、僕が思う今の時代への思いも付与しています。それは「言葉」が本来の意味を失いつつあるのではないかということ。例えば「愛してる」と言えば、言葉通りに伝わった時代もきっとあったのだろうけれど、いまは「愛してる」には疑念しかなくて、「愛」という言葉が出たとたんに疑ってしまうというように。

──人間が言葉を見放したのか、言葉が人間を見放したのか。

そう、ともかく言葉の価値が低下している。そういう「モヤモヤ感」もまた、言葉ではうまく言い表せない。「虚しい」とか「悲しい」とか「寂しい」に近いのだけれど、こういった言葉と言葉の間にこびりついた感情がモヤモヤさせるわけです。そして、そのモヤモヤをそれでも言葉を使ってすくい取ろうとしたのが、最果さんの詩だと思うんです。それは映画でも踏襲したいと思いました。いままで、言葉にならないからと切り捨ててきた感情とか気分といったものを捉えてみたかったんです。

──ということは、監督が今の時代に感じているさまざまな思いを採り込みながら、最果さんの詩の世界を映画で再構築しようと試みたということですか。

いや、そうではないです。最果さんの詩は、映画の到達点ではなくあくまでも出発点なんです。最果さんの詩から僕が何を感じたか、どこを揺さぶられたか、そういうものが今回はとても大切だと思いました。つまり僕の感性もしっかりミックスさせている。それが孫プロデューサーからの課題への答えだったと思っています。

──なるほど。そこで生まれたのが池松さんに演じてもらったキャラクターだったわけですね。実際に池松さんの現場での印象はどうでしたか?

少し困っているみたいでした(笑)。でも、それが魅力的なんですよ。彼が現場で困っているだけで価値がある。僕は、この映画はすごくやさしい映画に仕上がったと思っているのですが、それは池松くんの存在に拠るところが大きいですね。

「感受性を総動員して観てもらえれば・・・」(石井裕也監督)

──その池松さんの相手役を、石橋凌さんと原田美枝子さんの娘の石橋静河さんが初主演で演じています。

緊張していましたね。ずっと不安に苛まれているようでもあったし。でも、言ってみれば、それが劇中のヒロインの心情と同化していた部分でもあったので、それでよかったんです。だから、ふっと気が抜けたようになったときだけ引き締めるようにはしてました。

──彼女の緊張や不安を利用したと(笑)。そして、池松さんの仕事仲間には、松田龍平さんと田中哲司さんという強力なメンバーがキャスティングされています。

松田さんとは『舟を編む』以来の顔合わせで、あの作品が終わった後、次はどういった作品で一緒にやるか、お互いにずっと気にしていたんです。年齢が同じってこともあるし。で、この役を考えている時、ピンと来たんです。それで彼に「普通の人の役だけど、いい?」って訊いたら、「何でもいい、絶対やるよ」って言ってくれて。松田さんは普段から普通な感じはあんまりしないですが、それでもときどき見せる普通の人の部分、それがこの役にうまくはまった感じはしてます。

──確かに。田中さんが演じている、愚痴ばっかり言ってる、くたびれた中年男も存在感がありました。

僕もいろいろバイト経験はあるのですが、こういう人って実際にいますよね。正直言って、こういう人にはなりたくないなって思う。でも、その半面、ひょっとしたら自分もこうなってしまうかもって不安もある。普段は少し距離を置きたいけど、この人にもこの人の人生があって、家族や大切な人もいるかもしれないって考えると、急に愛おしく思えたりもするじゃないですか。

──なるほど、そういう見方もありますね。

つまり、普段感じている感情の向こう側にある思いですよね。実は、これも最果さんの詩から得た印象なんですが、最果さんは感情の向こう側にあるものを覗こうとしているんじゃないかと思ったんです。そういう意味で、田中さんに演じてもらったオジサンは一見したらダメな感じの人だけど、でもその奥にピュアなものがあるんじゃないかと思えたりする、そういう人を登場させたかったんです。

──ここでも、最果さんが詩でおこなっているものを映画的に発展、踏襲したということですね。映画を観てくれる人には、どう観て欲しいとかありますか?

感受性を総動員して観てもらえれば、いままで見てきたものが違って見えるようになる、そんなことがあるかもしれないと思っています。それこそ詩を読んだ後のように。

──孫プロデューサーからの課題は見事にクリアしましたね。

映画を観た孫さんが、「これはオレの代表作になるかもしれない」って言ってくれたんです。課題をクリアしたということより、その言葉に感動して僕の方がグッときましたね。

(Lmaga.jp)

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