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ブルース・リー没後45周年記念イベントでドニー・イェンと半田晴久氏がコラボ

 ブルース・リー祭に登場したドニー・イェン(右)と半田晴久氏
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 東京芸術財団がブルース・リー没後45周年を記念し、ブルース・リー顕彰のため、彼を崇敬する、ユン・ピョウ(61)、ドニー・イェン(55)を招へいし、生前の活躍を顕彰する「ブルース・リー祭」を開催した。1日のイベントには、ドニー・イェン。7月29日のイベントには、「死亡遊戯」で代役を務めたユン・ピョウが駆けつけ、ブルース・リーをこよなく愛する企業家・カリスマ経営者でオペラ歌手の半田晴久氏(67)と、トークを繰り広げた。また共催の株式会社ミスズは「ブルース・リー トゥールビヨンウォッチ」を発売した。

 没後45年。人気絶頂の中、わずか32歳で生涯を閉じた伝説のヒーロー、ブルース・リーさん。いまだ多くの人の心にその姿が心に刻まれている、唯一無二のスーパースターを語るイベントは、現代のアクションスターのドニー・イェン、ユン・ピョウが来場するという豪華な祭典となった。

 今回は7月29日の「宵まつり」1日の「本まつり」と2日間の開催となったが、2人ともなかなか来日できないアクションスター。「本まつり」に登場したドニーも「たまたま少々の余裕ができたと」と、急きょこのイベントのためにロンドンから駆けつけた。

 半田氏とのトークでドニーは、ブルース氏を「自分のロールモデル」と表現した。俳優として今の自分があるのは、その存在があるからこそだという。

 11歳の時に心を鼓舞された。「彼のヌンチャクを見て自分のヌンチャクを作った。ほうきの柄を切り刻んで4本にし、2本ずつズボンの横に入れた。サングラスもかけ、いつかブルース・リーのようになりたいとマネばかりしていた」

 そんな幼少期のエピソードに加え、製作者としても「ブルース氏の影響を受けているような映画、ドラマを作ってきた」と明かすなど、常に作品にはブルースの存在があった。

 2008年には、のちにシリーズ化となった映画で「イップ・マン 序章」ブルース氏の師である葉門(イップ・マン)を熱演する機会にも恵まれた。実は、ブルース氏の姿を追うことで「自分自身を信じ、自信を持ち続けることが大切。自分の夢を信じ続ければ必ず成功を手にすることができる」という人生哲学を学んだ。それを実践し今の成功がある。

 華やかなお祭りの雰囲気の中、こんな深いトークを引き出したのも半田氏のナビゲートによるところが大きい。実は半田氏とドニーはこの日が初対面。もちろんドニーは企業家、芸術家、そして「最大の貢献はチャリティー」と、半田氏の多方面での活躍は知っていたが、実際に会えば「感銘を与える人。すばらしい才能をお持ちな方」とすっかり魅了された。

 トークは映画作りの話題にも発展。ドニーから「今、一番お仕事したいのは半田さん。タイトルソングを先生にカバーしていただいて」と具体的なオファーも飛び出し、会場は大盛り上がりだった。そして「映画作りをプラットホームにポジティブなメッセージをしっかり発信し、世の中に愛を届けていければ」と熱く語ったドニー。発信の仕方は違えど“愛を届ける”思いは半田氏も同じ。そんな意気投合から、最後に半田氏は中国語で「北国の春」を熱唱し強力な絆を表現していた。

 また「本まつり」に先立ち、7月29日の「宵まつり」にはユン・ピョウが登場した。ブルース・リーと「ドラゴン」シリーズで共演し、また急死により未完成だった78年「死亡遊戯」では代役を務めた近い存在だ。

 今回、仕事での来日は何と27年ぶり。前日には半田氏と夕食を共にし、7月26日の61歳の誕生日を祝福されたという。会食中に意気投合し一緒に広東オペラを熱唱。半田氏が、主催するゴルフ大会への出場オファーするなど、より深い関係が構築されたようだ。

 ブルース氏については「私にとって永遠のアイドル。グランドマスターです。私たちは彼を目指した。彼の存在が支えでした」とその存在の大きさを語った。共演できたことは、今でも大きな財産で「彼と同じ映画に出演できたことを光栄に思います。1度目は彼のそばに立つことができました。そしてもう1回は“幸運にも”彼に蹴られることができました」と、懐かしそうに当時を振り返った。

 ブルース氏の死去後は、サモ・ハン・キンポー、ジャッキー・チェンと「3人とも特徴は違えど、教えてくれたカンフー、スピリットを時代の流れに沿って進化させていると思っている」とその魂を継承し活動していることを明かしていた。

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