【ボート】人生というレースを見事に完走した片山竜輔の奇跡と軌跡

予選1位、準優1着、優勝戦は逃げて勝利。地元Vの喜びをかみしめる片山竜輔選手
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 「ボート記者コラム・仕事 賭け事 独り言」

 ボートレース界最大の祭典、SG・グランプリへのカウントダウンが始まった12月。片山竜輔(かたやま・りょうすけ)選手(47)=岡山・69期・A2=が3日午前6時35分、がんのため帰らぬ人となった。SG覇者5人(太田和美、田中信一郎、山本浩次、三嶌誠司、仲口博崇)を輩出するなど、『花の69期』とうたわれたスター集団の一員。病気と共に生き、レーサーとして全うする道を選んだ。

 今年9月20日、三国マスターズリーグで優勝。続く尼崎でも予選を突破したが、10月21日の徳山(8R4着)を最後に戦列を離れて入院。周囲には多くを語らず、水面でその存在感を発揮し、A級選手とし最後まで走り抜いた。

 片山選手が亡くなった当日、児島ボートでの仕事を終えた19時に記者は、児島駅で喪服姿の69期生、太田和美、藤田美代、一色雅昭とすれ違った。その瞬間、その時が訪れたのだと察した。太田の目を見ると、穏やかな表情で小さくうなずいた。私はひと言も発することができないまま、その場を後にした。その後関係者から確認を取り、死去を知ることとなった。

 取材嫌いで知られ、写真撮影もままならなかった片山選手だが、私のパソコンには貴重なショットが保存されていた。それは13年12月の児島。予選1位の準優1着直後の写真が12月3日、優勝後の表彰式の写真が4日。日付の一致に意味するところを感じ、荒井輝年(44)=岡山・73期・A2=にメールで写真を送った。

 荒井は「3枚の中で、僕は装着場の写真が一番好き。後ろにレース終了と見えるから」と返信してきた。よく見ると、戦い終えて充実感みなぎる片山選手の後方に『レース終了』のオレンジの光。5年前の写真からメッセージが送られてきたのだ。片山竜輔選手は、人生というレースを完走したのだと。

 通夜、告別式に参列した関係者が当日の様子を伝えてくれた。「いい年の選手仲間が男泣きする中、奥さまは毅然(きぜん)とし、驚くほどしっかりされていた。覚悟とはこのようなものなのかと感じた」と。選手として生き抜くことを決意した片山選手の思いを、いかにご家族が尊重されていたのかがうかがえる。

 悲しみに暮れる仲間に「同期、集まれ!!」と大声で呼びかけたのは山本浩次だとか。2人は共に91年11月23日に児島でデビューし、3走目で初勝利。同期の新人が同じ日に水神祭を行うなんて快挙。花の69期の伝説はここから始まった。

 片山選手がレーサー魂を託した相手は村岡賢人(28)=岡山・105期・A1=だ。生前本人には告げていなかったが、第三者に「弟子は村岡」と話していたらしい。今年のGW前、壁にぶち当たっていた村岡は片山選手から告げられた。「出足がどうとか迷わず、本来のお前らしく伸びを生かして攻めのレースをしろ」と。それは片山選手の理想形ではないか。

 最後の瞬間まで立ち会った村岡は「口にはしないけど、竜輔さんのボートレースへの情熱はすごかった。常人ではできないことをやってのけた。自分を見失いかけた時、一番頼れる先輩だった。竜輔さんの情熱が財産。それを受け継いで走る」と決意を新たにしていた。さらに「5年前、(自分の)妻が天国に旅立った時と同じ気持ち。そこから僕を見ていてほしいと思った。妻には竜輔さんによくお礼を言うように、竜輔さんには、そっちでは僕の妻が先輩ですと伝えた」と愛する人との別れを胸に刻み、力に変えようとしていた。

 ここにボートレーサー・片山竜輔の軌跡を残す。通算1264勝、優勝39回。通算勝率6・05。最後まで選手としてはやてのように駆け抜けた47年の人生。彼の思いを胸に、同期も後輩も戦い続ける。私はその姿を見守り続ける。心からご冥福をお祈り申し上げます。(児島ボート担当・野白由貴子)

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