グラスワンダーを育てた男 “名門・尾形3代目”尾形充弘の軌跡【3】

 日本の競馬界に大きな足跡を残した尾形藤吉を祖父に持つ尾形充弘元調教師(70)が、2月いっぱいで定年を迎え35年以上におよぶ調教師生活に別れを告げた。祖父・藤吉、父・盛次(元調教師)の流れを引き継ぐ“尾形3代目”として競馬の盛り上げに貢献し、日本調教師会の会長を務めるなど要職を歴任。3月からはデイリースポーツ『うま屋』の“スーパーバイザー”に就任する大物ホースマンの軌跡に迫った。

 競馬の神様と呼ばれた尾形藤吉の、勝負に対する執念は想像を絶するものだったという。JRAで初めての1000勝ジョッキーとなり、日本にモンキー乗りを導入した保田隆芳や、52年にクリノハナで皐月賞、ダービーを制した八木沢勝美という厩舎のエース騎手でも「いくら勝っても1回も褒められたことがない」と述懐していた。

 身内である尾形充弘にも、当然のように厳しく接した。現在のようにマニュアルがあり、手取り足取りで仕事を教えてくれる時代ではない。尾形も藤吉から褒められることはなかった。あまりの厳格さに「(充弘は)孫なのにかわいそうじゃないか」と、保田や八木沢から逆に同情を寄せられるほどだった。

 そんな名伯楽も81年秋に函館で体調を崩して入院。9月27日、セントライト記念のレース前に息を引き取り89歳の生涯を閉じた。そのレースでは管理するメジロティターンが勝ち、藤吉にとって最後の重賞制覇となった。そして、この日はくしくも尾形の34歳の誕生日でもあった。「これも何かの巡り合わせなのかな。自分の誕生日は忘れても、おじいさんの命日だけは絶対に忘れることはない」と尾形は遠くを見つめるように語った。

 藤吉の遺志はすでに厩舎を開業していた長男の盛次、そして翌82年に調教師試験に合格した尾形充弘が引き継ぐことになる。盛次はメジロティターンで82年の天皇賞・秋を制するなど、JRA通算330勝を挙げた。さらに“尾形パパ”と呼ばれ、おおらかな人柄から多くの人から慕われた。96年に調教師を引退後、グラスワンダーが97年朝日杯3歳S(当時)を勝った時には、尾形のG1初制覇を誰よりも喜んでくれた。

 「仕事も遊びも徹底してやった人」と、尾形は盛次の数々の微笑ましいエピソードを楽しそうに振り返る。「新聞記者でも、ファンでも、どんな立場の人とも分け隔てなく付き合うことができた。食事に出掛けて、いつのまにか人数が増えても全員の分の勘定をしてしまう。それは今でも本当にすごいことだと思う」と改めてその人徳に思いをはせた。

(文中敬称略)

 ◆尾形充弘(おがた・みつひろ) 1947(昭和22)年9月27日生まれ、大阪府出身。82年3月に調教師免許を取得し、同年10月に開業。18年2月に定年により引退。JRA通算800勝(うちG1・4勝を含む重賞23勝)。10~12年には日本調教師会の会長を務めた。

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