明智光秀謀反!本能寺において叛逆を未然に察知した忠義の士は誰か? 識者語る

 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第27回は「本能寺の変」。小栗旬演じる織田信長が最期を迎える「本能寺の変」が描かれました。江戸時代中期の随筆「翁草」(著者は京都町奉行所の与力を務めた神沢杜口。史料的価値は低い)には、本能寺の変にまつわる興味深いエピソードが記されています。天正10年(1582年)6月2日、明智光秀の軍勢は京都の本能寺に宿泊する信長を急襲しました。

 「翁草」によると、この時、素晴らしい働きを見せたのが、信長の小姓として有名な森蘭丸だったとされます。織田方の多くの者は当初、何者による襲撃か分からず周章狼狽(しゅうしょうろうばい)したようなのですが、そうした中にあっても蘭丸は「敵は明智なるべし」と独り申したとのこと。明智の叛逆(ほんぎゃく)を蘭丸は未然に察知と同書にはありますが、敵の旗をいち早く見て、これを知ったということでしょうか。それとも前々から光秀は謀反するに違いないと蘭丸は看做していたということでしょうか。ちなみに「信長公記」にも「これは謀反か。如何なる者の企てか」と問う信長に「明智が者と見え申候」と蘭丸は言上したとあります。

 さて、同書には森蘭丸は森三左衛門可成の息子とあります。また生まれつき正直な性格で、諂(へつら)ったりすることはなかったと言います。その志は「忠烈」だったということです。ある時、信長が便所に行った際、蘭丸は主君の腰物(刀)を持ち、それに従いました。側に控えている時、蘭丸は太刀の鞘が「刻み鞘」であったので、その刻みの数を数えていたそうです。信長は密かにこの様子を見ていたとのこと。信長はこの時より暫く経ってから、側に人を集めて夜話をしました。

 その際、信長は「この鞘の刻みの数を言い当てた者があったならば、これをやろう」と言ったそうです。周りにいた者が次々に思い思いの数を言うなか、蘭丸だけは独り沈黙していました。信長がその理由を問うと、蘭丸は「それがしは兼ねてより、その数を知っておりますので」と答えたとのこと。普通ならば真っ先に正解の数を言っても良いようなものですが、蘭丸はそれをしなかったのです。蘭丸の廉直(私欲がなく正直なこと)に感じ入った信長は、腰物を蘭丸に与えたそうです。蘭丸の正直さを示すエピソードでした。廉直な蘭丸ですが、残念ながら本能寺で討死することになります。

(歴史学者・濱田 浩一郎)

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