社会を平等にするならば、映画作りも女性リーダーを主人公に 「ブラック・ウィドウ」鑑賞で思う

 記憶にまだ新しい『アベンジャーズ/エンドゲーム』。アイアンマンやキャプテン・アメリカといったスーパーヒーロー達が世界を救うためにチームを作り、命を落とした者、生き残った者、それぞれの勇姿を描いた壮大な物語は、世界歴代興行収入1位を記録しました。

 その時、大きな功績を残したのが生身の人間である超一流暗殺者、ブラック・ウィドウこと、ナターシャ・ロマノフ。彼女はアベンジャーズチームの中でも女の子の憧れである美しき女性スパイですが、ブラック・ウィドウの知られざる過去が明らかになる映画『ブラック・ウィドウ』が、映画館では7月8日から公開、ディズニープラスでは7月9日からプレミア アクセスで配信中です。

 そんなブラック・ウィドウ=ナターシャを演じるのは、かれこれ10年以上この役を演じてきた人気女優スカーレット・ヨハンソン。ナターシャの妹には『ミッドサマー』の怪演で注目のフローレンス・ピューという映画ファンにはたまらない顔合わせとなります。

 物語は仲の良かった幼少期からスタート、やがて大人に成長した二人の姿が映し出されます。ついに再会を果たすシーンでの緊張感溢れるアクションは息つく間も与えないほど素早く、表情の微妙な変化も美しいので撮影カメラマンがアップで撮ってしまうのも納得なのです。何故、この二人が離れ離れになっていたのか。それがブラック・ウィドウを含む女性スパイ達が所属する、ロシアのスパイ機関レッドルームの闇深さで、幼いうちに集められた女の子達が過酷な訓練を経て、ボスにより洗脳された状態でスパイ活動をしていることが映画では明らかに。

 更に不思議なことに、映画を見ていると社会構造をアクション映画に置き換えて描いているように感じてくるのです。それはレッドルームのボスは男性で、彼が生み出したスパイ養成プログラムを受けるのは全員女の子であり、彼女達の行動を支配するためにある手法を使って「洗脳」させているのです。しかも全員、避妊手術を受けさせられるという残念さ。劇中、ナターシャがその男に向かって「女の子の前でしか威張れない」と言い放つシーンがあります。むむっ、確かに組織に女性が増えたところで、ボスがパワハラで文句を言わせないようにしていたら、世界は変わらないじゃないか?これはもしや、その組織図にひと蹴り入れるような映画にもなっているのでは?

 ハリウッドはMe too運動が盛んで、女性が活躍する場を作ることや、第92回アカデミー賞で3部門ノミネートされた『スキャンダル』のような実話をベースにしたテレビ局のパワハラ、セクハラの実態を暴く映画など、近年は女性差別を描いた映画が多く制作されています。今年1月に日本でも公開された『スタントウーマン』というハリウッドで活躍するスタントウーマンにスポットを当てたドキュメンタリーでも、男性中心のアクション映画やスタントパフォーマーについて語られていました。

 女性ならではのしなやかで軽やかなアクション。それは華麗で美しく見惚れるものであり、『ブラック・ウィドウ』では、肉弾戦からガンアクション、バイクアクション、空中アクション、と様々なスタントで目を楽しませてくれます。多くの女性俳優達が出演し、その分、多くのスタントウーマンが必要となる現場だったことが伺えます。

 社会を平等にするには、偏っている数だけ増やすことなのかもしれない。『アベンジャーズ/エンドゲーム』の女性ヒーローラインナップのシーンをやりすぎと言うならば、男性政治家だけのラインナップに偏りがあると気付くことが、社会構造での「洗脳」を解く鍵なのかもしれませんよ。

(映画コメンテイター・伊藤さとり)

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