元虎ドラ1安達智次郎さん死去、41歳

 元阪神のドラフト1位・安達智次郎さんが7日午前1時49分、肝不全のため神戸市内の病院で死去した。41歳。神戸市出身。1992年度のドラフト会議で松井秀喜(元巨人)を抽選で外した阪神から1位指名されて入団。大型左腕として期待されたが、1軍登板がないまま引退。その後は少年野球の指導、地元・神戸市内で飲食店経営など活躍の場を広げていた。

 早すぎる別れとなった。安達さんは昨年、体調を崩して入退院を繰り返した。秋にはやせて顔色も悪かったが、昨年12月30日まで神戸市内で経営するバーに出勤。5日に体調を崩し、7日未明に息を引き取った。

 安達さんは村野工(兵庫)のエースとして1991年夏、92年春の甲子園に出場。187センチの長身から繰り出す140キロ台後半の直球が最大の武器だった。非凡な才能とともに、92年度ドラフト会議で阪神に松井秀喜(元巨人)の外れ1位で指名されたことも重なって話題となった。

 しかし、入団後はフォーム改造などで結果を残せず、98年に外野手へ転向。野村監督が就任した99年に投手へ復帰したが、1軍登板がないまま7年で現役生活を終えた。

 引退後は02年まで阪神打撃投手を務めた後、地元・神戸市内でバー「Rocket Ball」を経営。安達さんの明るい性格の下に多くの人が集まり、チームメートだった新庄剛志氏、DeNA・坪井智哉打撃コーチらも訪れていた。

 根っからの阪神ファンだった。昨年のセ・リーグCSファーストSでは古巣を必死に応援。店内では客に藪恵壹氏、川尻哲郎氏ら阪神OBとの思い出話を披露していたという。

 そんな安達さんが一番、感謝していたのが野村監督だった。「キャンプで一塁を守っていて、投内連係で三塁へ投げたのを見て、投手をやれと言ってくれた。生涯で一番うれしかった」とうれしそうに話していたという。

 プライベートも精力的だった。阪神・淡路大震災後は復興支援にも尽力。実家のある長田区で草野球チーム「ぼっかけーず」を結成し、地元を盛り上げた。後進の指導にも熱心で、今年も少年野球チームを作る予定だったという。まだ41歳。志半ばで生涯に幕を閉じた。

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