末成由美 吉本新喜劇との数奇な出合い…「スカウトされたんです」

 吉本新喜劇のベテラン女優・末成由美(72)は5歳から日本舞踊を習い、18歳で名取をとった。「日本舞踊家になることしか考えていなかった」と十代を振り返る。それなのに数奇な出会いが重なり、何者かの手が末成を吉本新喜劇の舞台へと導いていく。今では「お笑いをやるために生まれてきた」との確信に至った。吉本新喜劇は今年、60周年。末成が吉本に入るまでの「遅れやして、ごめんやっしゃ」な話をどうぞ。

 -末成さんは日本舞踊の名取をお持ちです。元々は舞踊家になりたかった。

 そうなんです。日本舞踊家を志していたんです。5歳のころからずっと日本舞踊をやってまして、日本舞踊家になることしか頭になかったんです。18歳の時に名取をとって。名前は、音羽菊嬉美(おとわきくよしみ)です。

 -練習は厳しい。

 お金もかかりますしね。

 -どれくらい。

 1回発表会するたんびにン十万、何百万と必要です。出しものによって違いますけど。私は安く仕上がるために男舞(おとこまい)をやることが多かったです。お坊さんの踊りとかあるんです。ちょっと三枚目の踊りがあったりとか。発表会でそういうのをやる人は少ないんです。どうしてもきれいな「娘道成寺」とか、「藤娘」とかをするもんです。お坊さんの踊りとか三枚目の踊りをやる人は少ない。振り返れば子供の頃から三枚目の踊りをやってました。

 -吉本新喜劇に入る前に殺陣師のグループ「的場剣友会」に。

 的場会剣友会の前に歌も習ってたんです。シャンソンを。

 -日本舞踊とシャンソンのつながりが。

 そうでしょ。おかしいでしょ。琵琶湖を宣伝するために大津市役所がキャラバン隊というのを作ってて、それに私が入ったことがきっかけでシャンソンにたどりついたんです。

 -うーん。

 まだ分からんわね。その頃は滋賀県の膳所に住んでたんです。ネットでは近江八幡てなってますけど間違いです。いっこも訂正してくれへん。キャラバン隊というのは琵琶湖を宣伝するために地方へバスで行って、例えば駅の広場とかで踊ったりするんです。移動の時、バス車内でメンバーそれぞれが歌うんです。私も。そしたらある時バスに、キャラバン隊の歌を作詞した先生が乗っていて。その先生が私に「歌をやってみいひんか」と声をかけてくれたんです。素質があると思わはったんでしょうね。それで歌を、シャンソンを習いに滋賀から大阪まで行くようになったんです。

 -なるほど。的場剣友会に近づいた。

 そやろ。そのシャンソンの先生のとこに、剣友会を主宰する的場達雄さんがいたんです。

 -つながった。

 ちょうど的場さんが「俺は斬られ役」というレコードを出さはったんです。新曲キャンペーンでは男性ばっかりやったそうで、「女性がいたら色気があるから手伝ってくれへんか」ということで剣友会と関わりました。人を斬るってね、勝手に死んでくれはるからものすごい気持ちいいんです。気持ちいいから居合抜きとか練習するようになりました。

 -的場剣友会からなぜ吉本に。

 そのころは吉本興業はよく大阪厚生年金会館、今のオリックス劇場で1年に1回時代劇をやってたんです。時代劇の殺陣を的場剣友会が担当したんです。私は日本舞踊をやってたから歩く姿もけっこうきれいやったんです。そしたら、吉本の舞台に出えへんかと誘ってもらったんです。スカウトされたんです(笑)。こう見えても。

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 末成由美(すえなり・ゆみ)1947年3月1日生まれ。山口県出身。滋賀県大津市膳所で育つ。日本舞踊名取(音羽菊嬉美=おとわきくよしみ)。趣味は料理など各種に。毎朝スクワットを50回こなしプロテインも飲む。71歳でフルマラソンに初挑戦し7時間を切って完走。「もう二度といや」。

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