BORO バブル時代は弾き語りで稼ぎジャガーにカルティエ「チップすごかった」
BOROというニックネームが付いたのは中学時代だ。教師から自由詩を書くように言われ、自分の「おんぼろ自転車」をテーマに書いた。それが兵庫県のコンクールで入賞。女子が「ボロ」と呼ぶようになった。BORO自身、病弱だった。BOROがデビューしたのはロック歌手・内田裕也の目に止まったからだった。時代はバブル前夜だった。
-1979年、25歳の時に「都会千夜一夜」でデビューしました。きっかけはロック歌手の内田裕也さん。
裕也さんが36歳くらいでした。めっちゃくちゃ若い時ですね。私がギターの弾き語りをしていた大阪・北新地の店に入って来て「オリジナル曲あるらしいね。オリジナルを聴かせてくれ」って。一生懸命5曲くらい歌いました。「東京に行く気あるか」と聞いてくれて「行きたいです」、「すぐに来い」と。即、行きました。
-裕也さんとしても有望な若いアーティストを探していたのでしょうか。
それはね…経営者でディスコ王みたいな方がいて、その人が裕也さんを連れて来たんです。私のことを「おもろいやつがおる。オリジナルも作ってる」って言ったんでしょう。当時、北新地ではホステスより私のほうが引っ張りだこになってましたから。
-BOROさんの好きな格好でおいでと裕也さんが言ったら、BOROさんはジャガーで乗り付けてカルチェの時計をはめ、シルクのスーツを着て行ったと著書「プロペラのない飛行機」にあります。
ははは。そうそう。水商売そのもののエナメルの靴をはいて。裕也さんがすごい嫌そうな顔をしてました。
-BOROさんは新地の店で弾き語りをしていた。ジャガーを買えるということはすごい稼いでいた。
そうですよね。めっちゃ稼いでました。今より稼いでた。今のほうが貧乏(笑)。
-バブル前のころ。
バブルよりちょっと前ですね。建設業界の人たちが羽振り良かった時代です。すごかった。鉄鋼業界は海外進出して、そういう人たちが北新地に飲みに来るわけです。部長くらいから上は湯水のようにお金を使ってました。特に建築関係の人達はすごかった。チップがすごいんです。
-最高チップはいくらくらい。ゲスな質問ですみません。
月に50万円くらいですかね。そういう時代でした。バブル前の好景気で。
-影響を受けた音楽家は。
最初はルイ・アームストロング、ナット・キング・コール、レイ・チャールズとか。小学校5年生くらいの時です。姉が聞いててすごい心地良かった。そのあとビートルズ、ローリング・ストーンズ。そのもっと前は三橋美智也さん、坂本九さん。それが小学校低学年のころです。ありとあらゆるもの聞きました。ベートーベンもバッハも。
-子供のころにクラシックを。
中学生の時にクラシックにはまってました。クラシックと平行してグループサウンズも聞きました。
-子供のころの音楽との出会いはお姉さんがきっかけ。
姉が情報を運んでくれた。5歳上ですのでね。子供のころの5歳は大きいです。よう、いじめられたんですけどね。姉には。