BORO 5歳上の姉が音楽を運んでくれた…病弱だった子ども時代

 BOROというニックネームが付いたのは中学時代だ。教師から自由詩を書くように言われ、自分の「おんぼろ自転車」をテーマに書いた。それが兵庫県のコンクールで入賞。女子が「ボロ」と呼ぶようになった。大ヒット曲「大阪で生まれた女」でその名は全国に広まった。BOROに音楽の情報を運んでくれたのは5歳上の姉だった。

 -子供のころの音楽との出会いはお姉さんがきっかけ。

 姉が情報を運んでくれた。5歳上ですのでね。子供のころの5歳は大きいです。よう、いじめられたんですけどね。姉には。

 -分かります。私にも姉がいるんで。

 はっはは!同じですねっ。

 -姉弟関係においては間違いなく姉は弟をいじめ、弟は姉にいじめられています。色んな人に聞きました。断言できます。

 ははははっ。そうですよね。はっははは!

 -せっかくなのでいじめられたエピソードを。

 病弱だったですからね…いじめやすかった。ものすごい抵抗しなかったですから。

 -お姉さんは元気。

 めっちゃ元気です。どうしようもないくらい元気です。僕は…耐えられなかったですね。覚えてないくらい。拷問みたいな。たたかれるのはしょっちゅうでした。記憶がないくらい。今、しゃべっていて思い出しました、たたかれたこと。忘れなあかんくらいの恐怖でした。いじめられたことを忘れなあかんくらいの恐怖で。これ、一番大きな見出しになったりして。

 -小学生の頃は病弱で虚弱体質だったと。

 そうですね。虚弱体質、アレルギーという感じでした。体中「くさ」だらけで。くさというのは昔の言い方で今のアトピーに近い。当時は薬なんてなかった。何かにかぶれてそこからただれていくような。

 -著書にはかゆくてかき過ぎて血だらけになったとあります。

 白いシーツが血だらけになった。ほんとそうなんです。なんとなく覚えてます。シーツが血でかちかちになった。

 -病弱であれば上級生とかからいじめられたことは。

 あります。ずっとではないですけど。私は病弱やったけど歯向かうタイプやったんです。歯向かい方が怖かったみたいで、いじめるほうもすぐやめてました。やられたらその場では返さず、時間を置いてタックルで仕返しするんです。忘れたころの突然のタックルやから向こうは「なんやこいつ!」って、びびって逃げる。タックルが一番効果的です。

 -著書に高校生の時にお母さまが亡くなり、ぜんそくがぶり返すなど病気もひどくなって「死ぬ」と意を決め、兵庫県伊丹市にある昆陽池に入水した。

 はは。

 -昆陽池公園は野鳥がいる素敵な公園。

 今はね。昔はなんにもなかったんです。畑ばっかり、草ぼうぼう。そんな時代の話です。野鳥も来てませんでした。

 -昔のことをすみません。死のうと思って…。

 しんどくてしんどくてね。ちょうど父親が長期の出張でいなくて家に私1人だったんです。姉は結婚して山口県へ嫁いでました。私1人だった。しんどくてしんどくて。もう死んだ方が楽やと思って。16歳の時の11月でした。

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