円広志 バラエティー進出きっかけは紳助さん、たかじんさん…夢想花から40年(上)

 歌手・円広志(64)は1978年に「夢想花」で華々しくデビューした。しかし東京でコンサートを開催しても集客できず、大阪に戻ってバラエティー番組に進出する。きっかけは後に芸能界を引退した島田紳助さんや、故やしきたかじんさんだった。「一発屋」とネタにされながらも独特の個性を発揮。40代でパニック障害を発症して休養した時期もあったが、来年は芸能生活40周年を迎える。今ではコンサートは常に満席。ファンに深く感謝し、現代に生きる人々に「あんまり上を見ずに、今ある幸せを見ては」と呼びかけた。(上)(中)(下)で。以下は(上)。

 -歌手としてデビューした円さんがバラエティー番組に出演するきっかけは島田紳助さん。

 そうですね。それとやしきたかじんさん。この2人でしょうな。

 -著書「パニック障害、僕はこうして脱出した」(詩想社)には「紳助さんが失礼極まりない手紙を書いてきた」とあります。

 うんうん。

 -円さんはあえてそれに乗って、紳助さんが出演していたラジオ局に乗り込んでいったということですか。

 はい。それは紳助さんにプロデューサーとしてすごい能力があるので、彼が仕掛けたワナに僕が見事にはまったということですわな。

 -それまで面識は。

 なかったです。

 -紳助さんはどうして円さんをテレビの世界に引っ張ったと。

 面白いからでしょ(即答)。たぶん。というのはあれだけのヒット曲を出して急にいなくなるという面白さじゃないですかね。たかじんさんも一緒やと思います。面白いんでしょうね。一気に売れて一気にいなくなるというのが。

 -手紙にはどんなことが。

 たしかね、「あなたは売れていないのにニコニコしている。売れていない歌手は下を向いて悲しそうに下を向いて歩いてください」みたいなこと書いてありました(笑)。

 -腹が立ちましたか。

 なんということを書いてくるのかという興味と、腹立たしさと両方ですね。彼にしてみれば「たぶん引っかかってくるやろ」みたいなのがあったのかも分からないね。

 -たかじんさんはどんなふうに。

 たかじんさんは、新地で僕が飲んでいる時に…飲むと言っても学生時代にバンドやってたマネジャーが新地で皿洗いをしていて「タダで入れたるわ」って言ってくれたので行ったんです。それが初めての新地です。その店の奧にたかじんさんがいて呼ばれたんです。「お前、おもろいからラジオ来い」と。それが始まりで2人でギター漫才をやったりしました。※(中)に続く。

編集者のオススメ記事

関西タレント最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(芸能)

    話題の写真ランキング

    デイリーおすすめアイテム

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス