美輪明宏さん死去、91歳 平和への切なる思い遺して 10歳時に長崎で被爆 上京して歌手に 「ヨイトマケの唄」がヒット

 歌手で俳優の美輪明宏(みわ・あきひろ、本名・丸山明宏=まるやま・あきひろ)さんが、20日午前9時30分、老衰のため都内の自宅で死去していたことが28日、分かった。所属事務所「オフィスミワ」が公式サイトで発表した。91歳。長崎市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。お別れの会や偲ぶ会の予定はないという。10代でシャンソン歌手としてデビューし、妖艶かつ美意識に満ちた世界観で人気に。また自身の被爆体験から、反戦と平和を訴え続けていた。

 表現者としての優れたパフォーマンスに加え、真摯に平和を願い続ける姿勢で世代を超えて愛された美輪さんが、ひっそりと天国へ旅立った。

 所属事務所によると、この1年は高齢のため仕事をセーブ。約3カ月前に体調を崩してからは自宅で静養していた。最後も自宅で「ありがとう」と感謝の言葉を伝え、静かに目を閉じたという。

 まさに激動の人生だった。10歳の時に長崎市の自宅で被爆。その後上京し、国立音楽高(現国立音楽大付属高)中退後、丸山明宏の名で歌手活動を始め、東京・銀座のシャンソン喫茶「銀巴里(ぎんぱり)」に出演した。シャンソンのカバー曲「メケ・メケ」がヒットし「神武以来の美少年」と話題を集めた。

 1966年には、肉体労働者の悲哀と無償の愛を歌った自作の「ヨイトマケの唄」がヒット。同曲は歌詞に差別的要素が含まれるとして一時は実質的な放送禁止に追い込まれたが、2012年に当時史上最高齢の77歳でNHK紅白歌合戦に初出場した際にも歌唱し、大きな話題となった。

 俳優としても、寺山修司が主宰した劇団天井桟敷の「毛皮のマリー」や三島由紀夫が脚本を手がけた舞台「黒蜥蜴」などに主演した。71年に美輪明宏に改名後も、さらに多彩な活動を展開。声優としても、宮崎駿監督の映画「もののけ姫」「ハウルの動く城」に出演するなど活躍した。

 被爆体験をメディアで語るとともに、反戦や平和をテーマにした楽曲を手がけたことでも知られる。壮絶な人生に裏付けられた鋭い人生論や辛口の批評は、世代を超えて親しまれた。2013年にはデイリースポーツで「ヨイトマケ人生あれこれ」を連載。タイトルは自身の命名で、三島さんとのエピソードなどがふんだんに明かされた。

 91年の人生を全力で駆け抜けた美輪さん。公式サイトには生前の直筆メッセージが掲載された。

 「こんな世の中を 生き抜く武器は 愛の云葉しかありません この世のすべての問題を 解く鍵は愛です 愛があれば 戦争なんか起こりません」

 この世からあらゆる差別、偏見をなくし、すべての人が平和で明るく楽しく生きていける共生社会の実現を願っていた美輪さんの、壮大な“遺言”だった

 ◇美輪明宏(みわ・あきひろ 本名=丸山明宏)1935年5月15日生まれ、長崎市出身。51年4月に国立音楽高等学校進学のために上京。同年から丸山明宏で歌手活動を開始。「神武以来の美少年」と称され、三島由紀夫、吉行淳之介、遠藤周作といった文豪から支持を得て活動の幅を広げ、57年に「メケ・メケ」が大ヒット。60年代半ばからシンガー・ソングライターの先駆者として「ヨイトマケの唄」などを生む。71年、現在の芸名・美輪明宏に改名。「黒蜥蜴」などの舞台、リサイタル、映画、テレビなど幅広く活躍した。テレビ朝日系「オーラの泉」(05~09年)では歯に衣着せぬアドバイスや人生訓で人気に。その後も多くの番組やCMで幅広い層の人気を誇った。

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