伊東ゆかり 「いつか辞めてやろう」から70周年 歌は「体の一部」 2001年クルーズ船で歌って「楽しくなりましたね」
歌手の伊東ゆかり(76)が今年、歌手デビュー70周年、レコードデビュー65周年を迎えた。今月15日に東京・渋谷区総合文化センター大和田 さくらホールで記念コンサート「伊東ゆかり KOKIKOKIコンサート~歌い始めて70周年~」を開催する伊東が、大ヒット曲「小指の想い出」の秘話など、70年におよぶキャリアと現在の心境を語った。
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伊東がベーシストだった父に連れられ、進駐軍回りの歌手になったのは6歳の時だ。11歳でポスト江利チエミを探していたレコード会社の目に留まり、レコードデビューした。
5年後に中尾ミエ、園まりとの3人娘でブレーク。「まりさんは3つ上でお姉さんで。私とミエさんはよくケンカしましたよ。同じ社長さんのうちに下宿してたし、四六時中顔を合わせていたので」と笑顔で振り返る。普通の生活に憧れ、「いつか歌辞めてやろう」と思っていたため、ライバル意識は持たなかったという。
大きな転機になった「小指の想い出」は20歳の時。大人っぽく大胆な歌詞に、当初は「これは私の歌じゃありません!園まりさんにあげてください!って言ったりして」と駄々をこねるほど拒絶感を覚えたという。
歌詞は有馬三恵子さんが川端康成の「雪国」を主題に書いた。「有馬先生が駒子の気持ちをいろいろ説明をしてくれたんですけど、私はとにかく無愛想だったし、歌うのが嫌だから、ブスーッと聞いてただけだった」。
有馬さんが19年に死去する前、伊東が電話で当時の非礼を謝ると、有馬さんは「ええ?今でも歌ってくれてるの?」と喜び、「今はもう分かるでしょ、あの意味は。これからも『小指の想い出』をかわいがってあげてね」と言い残したという。
紅白に11回出場し、69年に紅組司会も務めるなど大スターとなった伊東だが、長らく仕事への責任感、シングルマザーとしての責任感で「辞めてやろうなんて言ってられない」と歌っていた。歌手が楽しくなったのは01年、クルーズ船「飛鳥2」で歌ってからだ。
「(ステージが客席と)フラットで、お客さんがすぐ側にいて、客席に入ってって歌うのは全くやったことがなかったので、そういうステージを経験させてもらって楽しくなりましたね」
若い頃は「辞めたい」と思い続けた歌も今や「歌をもうやめなさいって言われたらふぬけになっちゃうんで、一生歌い続けたいし歌わなくちゃダメだなって」という、「体の一部」になった。記念ライブでは「ショーが終わった時、まだ、もうちょっと歌えるかなという気になりたいかな」と願っている。
◆伊東ゆかり(いとう・ゆかり)1947年4月6日生まれ、東京都出身。53年から歌手として進駐軍キャンプを回る。58年、「クワイ河マーチ」でレコードデビュー。63年、中尾ミエ、園まりとの3人娘でブレーク。67年、「小指の想い出」が爆発的にヒット。NHK紅白歌合戦には11回出場し、69年には紅組司会も務めた。女優としても山田太一氏のドラマ「時にはいっしょに」などで好演。歌手の佐川満男は元夫。歌手の宙美は長女。