ジェリー藤尾さん 逝く もう一度聴きたかった「遠くへ行きたい」新宿ジャズ喫茶から紅白出場

 ヒット曲「遠くへ行きたい」で知られる歌手で俳優のジェリー藤尾(じぇりー・ふじお、本名藤尾薫紀=ふじお・しげき)さんが14日、急性肺炎のため、横浜市の次女夫妻の自宅で死去した。81歳。中国・上海生まれ。通夜、葬儀は近親者のみで行う。喪主は次女板谷亜紀(いたや・あき)さん。「お別れの会」については、新型コロナウイルスの感染状況を見極めながら検討するという。

 昭和中期から芸能史を彩ってきた藤尾さんが、生涯現役のまま旅だった。関係者によると、13日午後8時頃に同居している次女・亜紀さんが見た際は、変わった様子はなかったという。夜中になって体調に異変があり、在宅医療の主治医に往診してもらったが、14日午前4時52分に息を引き取った。

 一時期は千葉県内の老人施設で暮らしていたが、最近は亜紀さんの自宅に身を寄せていた。高齢による衰えで車いすを使用していたが、体調を崩すことはなく、元気だった。体を気遣って、長年吸っていたたばこもやめていたという。

 NHKアナウンサーの父とイギリス人の母を持つ藤尾さんは、上海で生まれ、終戦翌年、6歳で日本へ。当時、全く分からなかった日本語は、童謡や唱歌を歌うことで身につけた。新宿のジャズ喫茶で歌っているところをスカウトされ、1958年に「水原弘とブルー・ソックス」として、日劇ウエスタンカーニバルに出演。芸能活動をスタートさせた。

 61年には「悲しきインディアン」でレコードデビューし、NHK紅白歌合戦に初出場。翌62年、NHKの人気番組「夢であいましょう」から生まれた曲で、故永六輔さん作詞の「遠くへ行きたい」が大ヒットし、スターダムへのし上がった。奔放でコミカルなキャラクターで人気を集め、俳優業もこなして、故黒澤明監督「用心棒」などに出演した。

 私生活では、64年にアイドル歌手だった渡辺トモコ(現・渡辺友子、76)と結婚。2女に恵まれ、5億円とされる豪邸に住み、家族でテレビCMに出演することもあった。おしどりぶりで知られたが、86年に離婚した。

 2019年放送のテレビ朝日系ドラマ「やすらぎの刻~道」が、俳優としての遺作に。晩年には「この年になったら活力はためておいて、ここぞ、で発揮する。私の場合、それは歌うこと」と、歌手の矜持を示していた藤尾さん。昨年11月に収録された「日本歌手協会歌謡祭」(元日放送)での歌唱が、人生ラストステージとなった。

 ◇ジェリー藤尾(じぇりー・ふじお)1940年6月26日生まれ。中国・上海出身。母親は英国人。家族と共に46年に日本に引き揚げ、専修大学付属京王高校入学。翌57年にバンドボーイとなりステージに立っていたジャズ喫茶でスカウトされ芸能界入り。「悲しきインディアン」でレコードデビュー。62年に「遠くへ行きたい」が大ヒット。紅白歌合戦に3回出場。俳優としては59年に「檻の中の野郎たち」で映画デビュー。黒澤明監督の「用心棒」にも出演。

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