みのもんた 若すぎるよ兄貴! 渡哲也さんと50年来の付き合い…7日に電話したばかり

 俳優の渡哲也=本名・渡瀬道彦=さんが、10日午後6時30分に肺炎のため都内の病院で亡くなっていたことが14日、分かった。78歳だった。葬儀・告別式は故人の強い希望により、14日に家族葬として渡夫人が喪主を務め、営まれた。法名・萬修院泰然自道居士。お別れの会、偲ぶ会等については故人の意向により実施しない。

 渡さんを「兄貴」と呼び、50年近く友情を育んできたタレント・みのもんた(75)が14日夜、デイリースポーツに、悲痛な思いを明かした。月に1度電話をするという約束を守り、渡さんは毎月みのに電話をくれたといい、今月は7日に電話で話したばかり。突然の訃報にショックを受けている。

 ショックだよ。信じられないよ。金曜日(7日)に電話で話したばかりだよ。

 渡さんとは月に1度、必ず電話して、いろんな話をしてたんだ。今月は7日に話したばかり。その時もいつもと変わらぬ様子で、僕を心配してくれた。「鎌倉で何してる?」「こもってるよ」「また銀座に行きたいね」「そうだね」って話して。

 昔、「月に1回必ず電話で話をする」って約束して、それがずっと続いてたんだ。長くしゃべると息が苦しくなるのに、必ず電話をくださった。律儀な人だから。

 お付き合いは、50年近い。僕が文化放送でレギュラー番組を持っていたころ、「そんなに吉永小百合をゲストに呼びたいのか。よし、俺が連れてきてやる」と言ってくださったのがきっかけ。

 その頃、飲む場所でよく会ってたんだけど、僕が「くちなしの花」ばかり歌ってたのを見た渡さんに、「どうして『くちなしの花』ばかり歌うんだ?」って聞かれてね。「親父が1番好きな曲で、愛唱歌なんです。親父には他に歌える歌がない」って話をした。そしたら渡さんが「親父の前で歌おうぜ」って、名古屋の会社(ニッコク)の工場に来てくれたんだ。目の前で渡さんの「くちなしの花」を聞いた親父は泣いてたよ。従業員20人の会社のためにわざわざ名古屋まで来てくれて…そんな人いないよ。

 それから、渡さんは兄弟分みたいな存在になった。僕は「兄貴」って呼んでね。

 京都のお座敷で「腹減ったな」って2人でうどんをとって食べたこと、引っ越したときに、まだ段ボールが転がっているわが家に奥さまと2人できてくれたこと、数え切れないほどの思い出がある。

 毎年夏休み、親父から子供からみんな連れて、渡さんと、奥様と一緒にゴルフ合宿をやってたこともあります。ある年、僕がゴルフで左の手首を痛めちゃったのね。そしたら「俺が運転するよ」って、渡さんが箱根から逗子の僕の家まで運転してくれた。そういう人だよ。

 あの人は、芸能人とかなんとかじゃなく、人間として付き合ってくれた。僕が芸能の仕事でもてはやされている時も、1人になっても付き合ってくれた人。やさしくて、男らしくて、実のある人でした。本当に悲しいです。

 家族葬が終わるまで誰にも教えなかったんだって?兄貴らしいな。ショックで、信じられない。若すぎるよ、兄貴!俺もすぐ行くよ。

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