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渡哲也さん死去 さらば団長…裕次郎さんの待つ天国へ 昭和、平成を彩った名優

 デイリースポーツのインタビューに応じた渡哲也さん=2001年9月
 石原裕次郎さん(左)に酒をつぐ=1981年10月
 弟・渡瀬恒彦さん(左)と共演でがっちり握手=11年12月
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 俳優の渡哲也=本名・渡瀬道彦=さんが、10日午後6時30分に肺炎のため都内の病院で亡くなっていたことが14日、分かった。78歳だった。葬儀・告別式は故人の強い希望により、14日に家族葬として渡夫人が喪主を務め、営まれた。法名・萬修院泰然自道居士。お別れの会、偲ぶ会等については故人の意向により実施しない。石原プロモーションは7月に、来年1月16日をもって解散することを発表したばかり。事務所が58年の歴史に幕を下ろす直前に、敬愛する石原裕次郎さんのもとへ旅立った。

 直腸がんを克服後も肺気腫やぜんそくなどの持病と闘いながら、役者としての復帰を目指し、執念のリハビリを続けていた団長が、“軍団”の解散を前に静かに旅立っていた。

 石原プロによると、渡さんは9日、午前4時頃に容体が急変。都内の病院に緊急搬送された。医師から「長くて2週間だろう」と告げられたが、翌10日、夫人にみとられながら永遠の眠りについた。

 憧れの存在だった故・石原裕次郎さんの“後継者”として、1964年に日活からデビュー。66年には吉永小百合(75)との共演作「愛と死の記録」でブルーリボン賞新人賞を獲得し高い評価を得ると、71年に石原プロ入りし、裕次郎さんの背中を追い続けた。

 76年の映画「やくざの墓場 くちなしの花」のヒット後は、石原プロのテレビドラマ本格進出に合わせ、「大都会-戦いの日々-」に主演。同シリーズを始め「太陽にほえろ!」「西部警察」などの超人気作に次々と出演し、トレードマークの「角刈りにサングラス」でお茶の間に親しまれた。

 87年7月に裕次郎さんが死去した後は、石原プロの2代目社長に就任。トップ俳優として活躍し続ける一方で、次々と病魔に襲われていた。74年に主演を務めた大河ドラマ「勝海舟」の収録中に肋膜炎を発症し途中降板。91年6月には直腸がんを公表し、術後は人工肛門装着というハンディキャップを抱えながら役と向き合った。

 16年8月には、持病の肺気腫やぜんそくなどの呼吸器系の疾患で酸素吸入器をつけていることを明かし、近年は公の場に姿を現すことが減っていた。それでも、役者としての復帰を目指し、執念のリハビリを続けていた。

 病との闘いの中でも、裕次郎さんへの恩義と強い責任感から、常に石原プロへの献身を忘れなかった。11年3月に同プロ社長を退任したが、17年4月に「相談取締役」として経営陣に復帰。今年7月には、来年1月に石原プロを解散することを発表した。裕次郎さんの「私が死んだら石原プロをたたみなさい」という遺言通りに、引き際を決断した渡さん。事務所幹部によると、渡さんは心なしかホッとした様子で、「若い人たちが出てきて、一歩下がって生きていくのが時代の流れだろう」と話していたという。

 おなじみとなっていた宝酒造のCMは、生前の裕次郎さんと合成映像で“共演”するラストシリーズが先月末から放映されており、同作での今年6月に行われたナレーション収録が、人生最後の仕事となった。

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