渡哲也さん 病魔と闘った俳優人生 年輪重ね内省的表現
俳優の渡哲也=本名・渡瀬道彦=さんが、10日午後6時30分に肺炎のため都内の病院で亡くなっていたことが14日、分かった。78歳だった。
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武骨なようでしなやか、頑固なようで柔軟-。10日亡くなった渡哲也さんは晩年、そんな男性像を数多く演じた。師と仰いだ石原裕次郎さんが終生タフガイというイメージを与え続けたのに対し、渡さんは年輪を重ねるにつれて、役どころを広げていった。
1960年代、「東京流れ者」や「無頼」シリーズが演技のスタート。アクションへのこだわりは強く、79年に始まった刑事ドラマ「西部警察」ではヘリコプターから飛び降りる場面もこなした。
一方で、加藤泰監督や深作欣二監督らの演出に接し、先鋭的な部分だけでなく内省的な丸みも加わるようになった。ドラマ「浮浪雲」(78年)では、力を抜き、ひょうひょうと演じることで新境地を開いた。
渡さんが内面の表現に傾いていった背景には、病魔との闘いがあった。30代にして胸部疾患などの大病を経験。NHK大河ドラマ「勝海舟」(74年)の主役も無念の降板を余儀なくされた。直腸がんを公表したのは91年。手術後は人工肛門装着というハンディキャップを抱えながら、「一つ一つの仕事を大切にしたい」と、誠実に役と向き合ってきた。
アクションスターから、現役の俳優のまま芸能プロダクション社長と、裕次郎さんと同じ道のりを歩んだ渡さん。病に倒れながら、生きること、演じることへの強い意志を見せ続け、多くの人に勇気を与えたところも、同じだった。