欽ちゃん ノムさんに「大事にしてもらってうれしかった」“野球人”の別れ惜しむ

 プロ野球の南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也さんが11日、虚血性心不全のため、84歳で死去した。選手、監督として日本プロ野球界に多大な功績を残した野村さんの死を惜しむ声は、芸能界からも届いた。タレントで、野球のクラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」の監督も務めた萩本欽一(78)は「こんなに野球を面白くされたのは、野村さんの功績」とたたえた。

 萩本は11日、デイリースポーツの取材に応じ、野村さんを悼んだ。

 野村さんとの初めての出会いは30年ほど前、テレビ番組での共演だったという。「苦労人の人生話を聞いていると、本当にドラマを見ているようで、楽しく感激しながら聞かせていただきました」と振り返った。

 「苦労話を面白くするので、苦労が苦になってないというか、重いものがないんですね。努力して、それを乗り越えた人にしかできない笑顔と語り口だったと思います」としみじみ話した欽ちゃん。偉大な実績のみならず、深い洞察と経験に基づく言葉にも感銘を受けていた。「こんなに野球を面白くされたのは、野村さんの功績。ファンを喜ばせるような野球論を語れる人は、何人もいないですからね」と称えた。

 最初に番組の出演依頼をした際のエピソードとして、「プロデューサーが交渉に行ったら『テレビ?』って言われて。で、『欽ちゃんの番組なんです』って説明したら、『欽ちゃん?なら行くだろうよ』とOKしてくれた」と説明。さらに「ヤクルトの監督の時は、選手の皆さんに『テレビには出ておくもんだぞ』って勧めていただいて、選手の方にたくさん出てもらいました」と述懐した。「番組にたくさん出演していただいて、特別にしてもらった気分がずっとしていました」と感謝した。

 2004年、野球のクラブチーム・茨城ゴールデンゴールズを結成した際も、当時社会人野球・シダックスの監督を務めていた野村さんに相談したという。「野球を始めるには、野村さんと王さんにはごあいさつしておかないとと思って行ったら『金かかるけど大丈夫か?』なんて言いながらも勧めていただいた」と笑った。

 共演者として、そして同じ“野球人”として「大事にしてもらってうれしかった。『監督、ありがとうございました!』と、大きな声で言いたいですね」と別れを惜しんだ。

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