【平成物語14】SMAP 平成のアイドルの形

「平成28(2016)年12月31日SMAP解散」

 2016年、芸能史に残る解散劇があった。年初に始まったSMAP分裂騒動は、年末に最悪の結末を迎えた。

 日本で最初に「国民的グループ」と呼ばれたSMAPは、これまでのアイドルの概念を覆す活動で新たなアイドル像を作り上げた。「アイドルグループはグループで活動し、歌と踊りだけに注力する」というそれまでのスタイルを捨てた。アイドル育成の方式は、平成、SMAPにより改革されたのである。

 SMAPのデビューは1991年9月。名前は「Sports Music Assemble People(スポーツと音楽を融合する人)」の頭文字を取った造語をグループ名に冠し、光GENJIのバックで踊っていた森且行、中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の6人で結成された。だが、デビュー曲は売れず、低迷が続いた。「名古屋のコンサートで2階席に誰もいない。会場をグルリと走ったんだけど、ファンの人が一部にしかいないの。来てくれた人が本当にありがたかった」と草なぎが後日記者に語っている。

 グループの人気を獲得するために活路を見いだしたのはバラエティーだった。既存のアイドルがしなかった体当たりコント。96年には森且行の脱退があったが、「SMAP×SMAP」のスタートで人気が安定した。

 第2の差別化は、メンバーを個々で一流に育成したこと。木村拓哉は「ロングバケーション」でキムタクブームを作り出したが、これは出演作選びに徹底的にこだわった結果だ。俳優業、司会業、バラエティー…個人がメインを張れる力を付けた。

 一方、音楽活動では「世界に一つだけの花」などが大ヒット。どの角度も隙がないSMAPは「国民的グループ」の地位に上り詰める。当時、中居は「5人集まるとパワーがすごいねって言ってもらうのが一番うれしい」と話していた。

 先達(せんだつ)はいない。SMAPは「道なき道」を切り開いていた。その後、嵐、関ジャニ∞など多くのグループがSMAP方式で活動。SMAP方式は平成アイドル育成のスタンダードとなった。

 5人が未知なる道を行けたのは人柄によるところも大きい。記者だけでなく、共演者やスタッフ、皆から愛され、誰もがSMAPのために動こうとした。メンバーが「みんなSMAPだから。ファンも含めSMAP」とよく言っていたように、チームの力で前進していた。

 解散はしても、SMAPの偉業は残り続ける。5人はきっと今後も新たな道を切り開いてくれる。ネット分野などで、それはすでに始まっている。(デイリースポーツ・原田智恵)

関連ニュース

編集者のオススメ記事

芸能最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(芸能)

    話題の写真ランキング

    デイリーおすすめアイテム

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス