“知の巨人”梅原猛さん死去 スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」創作

 古代史や文学、宗教などを横断し「梅原日本学」と呼ばれる独創的な分野を打ち立てた戦後日本を代表する哲学者で、文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日午後4時35分ごろ、肺炎のため京都市左京区の自宅で死去した。93歳。仙台市出身。葬儀・告別式は近親者で行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は長男賢一郎(けんいちろう)氏。

 “知の巨人”が逝った。家族にみとられ、安らかに息を引き取ったという。賢一郎氏は「哲学者らしい大往生でした」と語った。

 梅原さんは京都大文学部哲学科卒。国際日本文化研究センター設立に尽力し、1987年の発足時から95年まで初代所長。97年から6年間、日本ペンクラブ会長を務めた。

 初期の著作「地獄の思想」「笑いの構造」で日本精神の形成と伝承について考察を加えた。次第に関心を古代史、歴史一般へ広げ、72年の「隠された十字架 法隆寺論」、73年の「水底(みなそこ)の歌 柿本人麿論」で次々に大胆な仮説を提示、反響を呼んだ。縄文の魂と弥生の技術を合わせたキーワード「縄魂弥才」を生み出すなど、独自の史観を確立した。

 創作でも活躍し、三代目市川猿之助(現・猿翁)が演じたスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」「オグリ」を書き下ろした。

 社会問題にも積極的に発言した。

 勤労奉仕先の名古屋で空襲に遭い、九死に一生を得た。「負ける戦争でなぜ死ななきゃいけないのかという深い懐疑が、哲学をやる動機になった」と語っていた。戦争反対の姿勢を貫き、故小田実さんや故井上ひさしさんらと共に護憲を訴える「九条の会」設立の呼び掛け人に。「人類の未来の理想が含まれている」と、憲法9条の意義を指摘した。

 脳死臨調のメンバーとして、脳死は人の死ではないとの少数意見を主張。東日本大震災後は政府の復興構想会議の特別顧問を務め、「原発事故は文明災だ」と脱原発を訴えた。

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