「みんなが応援してくれる和田アキ子になりたい」 デビュー50周年しみじみ

 1968年10月25日、シングル「星空の孤独」でデビューし、今年で50周年を迎える歌手・和田アキ子(67)。女優、バラエティータレントとしても、マルチな能力を発揮し、今やお茶の間になくてはならない存在。大阪・ミナミでその名を知らぬ者はいないとまで言われた不良少女から、世界でも活躍する国民的歌手になるまでの50年の歩みを、存分に語った。

 選ばれた存在しかたどり着けない、デビュー50周年という金字塔。

 和田は「よくここまでやって来られたなということですよね。本当にファンのおかげ」と振り返り、「13歳とか14歳でファンになってくれた子が、もう60歳超えてますからね。その子たちが、私に何を求めているか。アコの歌を聴いて元気が出る、勇気が出ると言ってくれるんで、そういう人たちがいる限りは歌い続けたい」と晴れやかに笑った。

 デビュー前は大阪で、不良少女として名をはせていた。「毎日、必ず新聞読みました。ミナミで死人がでてないかな、と。それぐらい無茶してました」と冗談めかして語るほど、荒れた日々を送りながら、時折所属していたバンドで歌を歌うという生活だった。

 運命が変わったのは、17歳の時。当時、国民的な人気を誇っていた「ザ・スパイダース」が来阪し、和田らのバンドと競演した。そこで歌った和田の歌が、ホリプロ大阪支社の関係者から注目され、一気に上京してデビューする流れとなった。

 大型新人として、華々しくデビューしたはずが、デビュー曲はまったく売れなかった。「あんなに褒めてもらってたのに、なんで売れへんのやろ?」という葛藤に加え、先輩たちの厳しい対応などで、屈辱的な日々を送っていた。それでも「ある意味、いい時代でしたよ。『クソッ』ていう思いで、ガッツが出ましたね」と、持ち前の根性で屈辱をバネにした。

 2曲目の「どしゃぶりの雨の中で」がヒットし、歌手としての評価を固めた。その後は歌のみならず、バラエティーや司会業でも活躍。「長けりゃいいってもんじゃないけど、バラエティーやって、ディナーショー、コンサート、ラジオもやって、ドラマも出て、紅白のトリも取って、もう落ちましたけど(笑)、司会もやって…っていうのはなかなかいないらしいんですよ」と誇らしげに話した。

 そんな和田が、50年目を迎える今にして、改めてつぶやいたのは「歌手って難しいな…」。その思いを「正解がないんですよ。人の心って言うのは、人気商売は「人」の「気」だから、その人にどう伝わるか。どう取られるかわからないじゃないですか。これが難しい。いつも言ってるんですけど、1+1は2じゃない。人によっては0でも、3でも正解になる」と説明した。その上で、自らの心の持ちようを「とにかく、自分が後悔しないようにする。みんなを感動させようという気持ちを持っていれば、伝わることがあるんですよ」と明かした。

 大ベテランとして、今の芸能界のあり方にも思うところは多い。「自分が嫌な思いをさせられたような先輩になりたくないと思って、後輩はかわいがってるつもり。できれば、みんなで芸能界を盛り上げたいというところはあります。卓球の13歳とか、将棋の14歳とか、誰も悪口いわないでしょ?そういうのを芸能界でも作れるようになりたいですね」と一気に話した後、「もっとみんなが本当に、素直に応援してくれる和田アキ子になりたいね…」と、思いが口をついた。

 デビュー当時のキャッチフレーズは、「和製R&Bの女王」。50年たった今、改めて問われた和田は「まだ近づいてないなと。女王というには何かが足りませんね。いつ完成するか分からない」と話し、「それが今後の目標かもわかりませんね」と、ニッコリ笑ってさらなる高みを見据えた。

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