【平成物語15】ゴルフ界の救世主は15歳の王子~石川遼 ツアー史上最年少優勝

 「平成19(2007年)5月20日 石川遼がツアー史上最年少優勝」

 絶頂期のタイガー・ウッズに聞いた。

 -今が、キャリア最強か?

 「分からない。2000年前後の方が良かった部分もある。来年、もっと良くなるかもしれない」

 揺るぎない自信を感じた。そして、もう一つ聞いた。

 -日本では(宮里藍らの登場で)女子ゴルフの人気が上がる一方、男子は厳しい状況にある。どう見る?

 「ジャンボ(尾崎将司)に続くスターがいないからね。そこじゃないかな」

 06年、年間8勝と勝ちまくって来日した11月のダンロップフェニックス。最強アスリートが日本のゴルフ界をどう見ているか、知りたかった。

 このころ、ウッズに憧れていた中学3年生が半年後、奇跡を起こす。石川遼だ。

 高校1年生となった石川が、初めて出場したプロトーナメント、マンシングウエアKSB杯(07年5月17~20日、東児が丘マリンヒルズGC)。初日は強風で中止、残り3日間で4ラウンド(金、土曜日に予選ラウンド、日曜日が決勝2ラウンド)という変則日程となった。

 初日は70位。2日目に前半31というビッグスコアを出し、23位にジャンプアップした。まだ周囲も本人も、のんびり構えていた。石川は、最終日の36ホールなど、ただワクワクしながら、初めてのプロトーナメントを満喫していたに違いない。

 3ラウンド目。69で回り、9位で最終ラウンドに入っても勢いは止まらない。「15歳の優勝、あるかも!」。他の組を取材していた者、プレスルームでスコアを追っていた者、この大会を取材していたメディア全員が、大急ぎで“石川のいそうな場所”へ走った。ギャラリーをかき分けて走り、石川までかき分けて追い越してしまった者もいた。

 それほど石川は無名でもあったし、だからこそ勝てばとんでもない偉業なのだ。

 石川より30分遅いスタートだった尾崎将司の組を見ていた記者もダッシュだ。必死で石川を探し、15番あたりで追いついた。

 そして通算11アンダーの首位で迎えた17番パー3。ティーショットは左奥のバンカー。左足下がりから下り傾斜の23ヤード。真後ろから、見た。2打目。ボールは意思を持ったようにピンに寄りカップに吸い込まれていった。

 たぶん、記者は石川より派手にバンザイしていたと思う。無名の若者の優勝を確信したと同時に、半年前の、タイガーの言葉を思い出した。「ジャンボに続くスターがいれば」。翌日のデイリースポーツは「ゴルフ界の救世主となる“王子”が誕生した」と伝えた。(デイリースポーツ・西下 純)

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