不祥事で引退・廃業した力士・親方

 大相撲の中川部屋が閉鎖されることになった。親方の不適切な指導が原因だという。暴力と縁を切るのはそこまで難しいことなのか…角界での不祥事・事件などを振り返る。

公開日:2017.12.4

前田山 休場して野球観戦したのがバレた 引退勧告受け現役退く

1950年5月30日 断髪式で前田和三郎博士にハサミを入れてもらう前田山。四股名は、かつて重病を治療してくれたこの恩人からとったものであった

 1949年10月の大阪場所を病気を理由に1勝4敗で途中休場、帰京したが、その翌日から2日にわたって後楽園球場で日米野球を観戦。その写真が新聞に載り非難が殺到。相撲協会から引退勧告が出され、横綱在位6場所目で現役を退いた。

 本紙人気コーナーだった「懲りない編集長」を長く務めた作家の安部譲二さんは前田山騒動を次のように振り返っている。

 【2010年5月17日デイリースポーツ紙面「安部譲二の書かずに死ねるか!」コラムより】(中略)昭和24年に横綱だった前田山は、大阪場所を途中病気休場したのに、東京の後楽園球場で行われたサンフランシスコ・シールズの試合を見に行きました。ところが選手たちに「ネット裏にスモーが来ている」と大騒ぎされ、大銀杏に羽織袴でオドール監督や選手と写真を撮っていたところが、翌日の新聞に載ったからたまりません。同じ柄が悪かったと言っても、モンゴルの横綱と前田山では人柄の良さが違いました。前田山は「病気欠場しながら東京に野球見物に行ったりして本当に悪うございました」と謝って土俵を去りました。後に親方になった前田山は初めてハワイから弟子を取り、それが高見山です。お相撲さんは人間ばなれした強さの中に、なんとも言えず愛嬌が秘められているからチャーミングなのです。強いだけの力士にはなんの魅力もありません。

元横綱・輪島の花籠親方 年寄株を担保に借金… 角界追放

1986年4月13日 大勢の報道陣を前にプロレス入りの会見をする大相撲元横綱の輪島(手前)と馬場会長=東京・キャビトル東急ホテル

 「黄金の左」と呼ばれた下手投げを武器に学生相撲出身初の横綱に上り詰め、優勝14回。81年に引退し師匠となり、花籠部屋を継承。85年に前代未聞の年寄名跡を借金の担保にしていたことが発覚し、協会から2段階降格処分と無期限謹慎処分が下された。結局、廃業となり角界追放。86年4月には全日本プロレスへ入門、2年間プロレスラーとして活動した。

琴天山 デビューから無敗21連勝も突如引退

1986年9月、リングに上がるジョン・テンタ

 86年2月7月、カナダ出身の幕下琴天山(序二段までは琴天太)が名古屋場所前に佐渡ケ獄部屋から失踪。初土俵から序ノ口、序二段、三段目と負けなしの21連勝で、3場所連続優勝。当時外国人力士が少ないこともあり、関取以下にも関わらずその衝撃的な強さが話題になったが、日本になじめないという理由で廃業。その後、プロレスに転向、ジョン・テンタとして全日本、米WWEで活躍したが、06年6月、ぼうこうがんのため42歳で死去した。

双羽黒 親方とモメて失踪…史上初の優勝経験のない横綱

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