斉藤立 天国の父・仁さんに届けた、大会史上初親子日本一「父に褒められることはないと思う」

 初優勝を果たしガッツポーズする斉藤立(代表撮影)
 1988年4月、全日本選手権で優勝した斉藤仁氏
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 「柔道・全日本選手権」(29日、日本武道館)

 男子100キロ超級の世界選手権(10月、タシケント)代表最終選考会を兼ね、体重無差別で争われた。五輪2連覇の故斉藤仁氏の次男、斉藤立(たつる、20)=国士舘大=が、準決勝で東京五輪代表の原沢久喜(長府工産)を破ると、決勝は世界王者・影浦心(日本中央競馬会)に14分21秒、延長優勢勝ちで初制覇。1988年大会優勝者の父に並び、史上初の親子日本一となった。斉藤は世界代表にも初選出で、24年パリ五輪に向けて大きな一歩を踏み出した。

 斉藤が世界王者を畳に沈めると、地鳴りのような拍手と歓声が響き渡った。二十歳の新王者誕生を、日本武道館が一体となって祝福。この日の主役は右腕を突き上げて応えた。

 亡き父の生き写しのようなパリ五輪の星は「第一歩を刻めた。自分はまだまだ挑戦者。何が何でも勝ち続けていくつもりでいる」と高らかに宣言。ただ、天国に日本一を報告すると「(父には)握手してから課題を言われたと思う。自分には厳しいので、褒められることはないと思う」と笑った。

 192センチ、165キロ。規格外のスケール感は体格だけではない。巨体を器用にコントロールしながら、破壊力抜群の技を放つ。決勝は試合巧者の影浦との激闘となったが、試合時間10分を超えても闘志が切れることはなかった。スタミナに自信はなかったものの、この試合の勝敗がパリまでの岐路となる。「キツいときも『俺は絶対に負けへん』と。何が何でも勝って(家族や周囲を)喜ばせて恩返しするんだというのが試合中に芽生えてきた」。歯を食いしばって奥襟をつかむと、最後は足車で投げ切った。

 執念は父に学んだ。仁氏の生前、車の中では全日本選手権の試合映像を流すこともあった。ただ、父が日本一になった88年大会の映像を見たのは亡くなった後だった。伝説の柔道家の鬼気迫る戦いを目の当たりにし、「本当に執念という言葉が現れている試合。自分もこういう選手にならないと」と覚悟した。

 初の日本一で周りが歓喜に沸く中でも、喜びを爆発させることはない。「五輪で優勝するからです。自分は二十歳で次があるので」。世界代表にも選ばれたが、厳しかった父は天国から常ににらみをきかせている。「慢心したら次につながらない」。24年へと続く道は歩み始めたばかり。一食で米3合をぺろっと平らげるホープに、まだまだ満足感はない。

 ◇斉藤 立(さいとう・たつる)2002年3月8日、大阪府出身。国士舘大3年。84年ロサンゼルス、88年ソウル五輪2連覇の父仁氏の影響で5歳から柔道を始め、父直伝の体落とし、内股などが得意技。東京・国士舘高に進み、18、19年インターハイで連覇。昨年11月のグランドスラム・バクー大会でシニアの国際大会を初制覇した。家族は母、兄。左組み。192センチ、165キロ。

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