鶴竜引退 夏場所で再起目指すも心身限界“人格者横綱”決断 年寄「鶴竜」襲名
日本相撲協会は24日、第71代横綱鶴竜(35)=本名マンガラジャラブ・アナンダ、陸奥部屋=が現役引退することを発表した。年寄「鶴竜」襲名が理事会で承認された。鶴竜は春場所直前に左足を負傷し5場所連続で休場。5月の夏場所で再起を目指したが心身とも限界で、この日朝、師匠の陸奥親方(元大関霧島)に引退を申し入れた。25日に会見する。2020年12月10日には日本国籍を取得。今後は鶴竜親方として後進の指導にあたる。2001年にモンゴルから来日し20年。歴代10位の横綱在位41場所、6度の優勝を果たした“人格者横綱”が土俵人生に幕を下ろした。
礼儀正しく、品行方正…力士のお手本だった横綱鶴竜が引退を決めた。5月夏場所で復活を目指したが状態は上がらず、もう土俵に戻る力はなかった。
この日朝、師匠に決断を伝えた。師匠も「もう1回、頑張る姿を見たかったけど、横綱の意思を尊重してあげたい」と了承した。
鶴竜の父は国立大の大学教授を務め、モンゴルでエリート一家。幼少期はバスケット選手にあこがれた。当時、同国で大ブームの相撲に魅せられ力士選考会に挑戦。不合格になったがあきらめきれず、日本に決意を込めた手紙を書き、執念が実り16歳時、井筒部屋に入門がかなった。
来日時、体重65キロながら頭脳明晰(めいせき)な少年は師匠の先代井筒親方(元関脇逆鉾)の指導で力を付けた。先代師匠譲りのもろ差し、巻き替え、兄弟子の寺尾(元関脇、現錣山親方)からは突っ張りも吸収した。
初土俵から5年の06年九州場所、新入幕。12年春場所後に大関昇進。そして14年春場所、初優勝と同時に71代横綱昇進を果たした。
同郷横綱の白鵬、日馬富士に比べ派手さはないが、技能は抜群。17年春場所から稀勢の里も加え、豪華4横綱時代を担った。一方で引く癖があり、守勢に回ればもろかった。金星は歴代横綱で8位の33個を配給した。
優勝は19年名古屋場所、6度目が最後。同年秋場所中、先代師匠は死去した。20年12月には井筒部屋(墨田区)も取り壊され気力も衰えたように見えた。
20年11月場所後、横綱審議委員会から史上初の「注意」決議を受けたが2場所連続で故障。5場所連続休場となり横綱史上ワースト2位の69日連続休場。春場所後に「引退勧告」を含めた重い決議が下る可能性もあった。現役への悔いもあったが引き際だった。
日本国籍は昨年12月に取得。横綱は現役時のしこ名で5年、協会に残る資格があり、鶴竜親方として今後は後進の育成にあたる。