ブレイクダンス五輪種目入り“先駆者”風見しんごも感慨 普及の影に欽ちゃんの助言も
ブレイクダンス(ブレイキン)が2024年パリ五輪の追加種目に決定したを受け、日本ダンススポーツ連盟は14日、川崎市のクラブチッタで記者会見とデモパフォーマンスを行った。
日本のブレイクダンスの先駆者と呼ばれるタレントの風見しんご(58)もゲストで登場。ブレイクダンスチームとともに、踊りも披露し「僕が踊ったのはもう36、7年前。長い年月をかけて、若い人たちがどんどん進化、完成させていってくれた。まさか五輪競技になるとは」と、感慨にふけった。
風見は1984年にリリースした「涙のtake a chance」の振付の中に、ブレイクダンスを取り入れた。当時、米国で路上で段ボールを敷き、ブレイクダンスを踊る子供たちの姿をみて「取り入れたい」と思ったという。単身でニューヨークに渡り、子供たちから見よう見まねで習得した。
ヒップホップという言葉もまだ浸透していない時代だけに、周囲には反対の声があったという。ただ、師である萩本欽一が「なにやりたいんだよ。でもやりたんだろ?やってみな」と言ってくれ、導入を決めた。
ブレイクダンスが日本に根付いていく上で、欽ちゃんのアドバイスも大きかった。風見は当時「天狗状態。アイドルだったし、100%カッコいいものをみせたいという思いが強かった」と、振り返る。そんな風見に欽ちゃんは「風見、それじゃあ続かないよ。子供たちがマネしようと思うものじゃないと」と助言し、リズムを少しゆっくりにすることなどを提案したという。風見は「今でもパパ世代の人が昔真似してましたと言ってくれる」。現状で日本はパリ五輪金メダル最有力に挙げられる。当時、風見が蒔いた種は、確かに普及への助けとなった。
「欽ちゃんに報告しますか?」と問われた風見は「たぶん『なんのことだい?』って言うんじゃないかな」と、笑った。
