【東京へ駆ける・上】福原愛さん「仲間を応援できない自分が大嫌いでした」

 2020年7月24日に開幕する東京オリンピックまで約1年半となった。さまざまな角度から自国開催の一大イベントを掘り下げる新企画「東京へ駆ける」がスタート。1回目は、卓球女子の12年ロンドン五輪女子団体銀メダリストで、16年リオデジャネイロ五輪の団体では銅メダルを獲得し、昨年10月に第一線を退いた福原愛さん(30)が登場。東京五輪や4大会連続で出場した五輪、自身の卓球人生や私生活などへの思いを、3日連続で掲載する。

  ◇  ◇

 -東京五輪に期待していることは。

 「前回きたときの話を先輩方とかに聞くと、ものすごく興味深いし、語り継がれていくんだな、と思うことがすごく多い。次の次の世代まで語り継がれるような…。結果もそうですけど、大会全体の雰囲気とかも成功するといいですね」

 -卓球に対しては。

 「日本選手がたくさん表彰台に上がれるように、というのが思い描いている私の勝手なイメージ。すべての種目でメダルを取ってほしいですね。早くメダルをかけた選手を見たいし、そのメダルを触りたいですね」

 -東京五輪で見てみたい競技は。

 「卓球は絶対に見たい(笑)。バレーボール、陸上も。あとマラソン。自分も走ったり、歩いたことがあるかもしれないコースを走っているのを見たいですね。20年後、30年後、その道を通るたびに走っていたなって思い出せるじゃないですか。道で『がんばれ!!』ってやりたい(笑)」

 -東京五輪で初めて卓球を見る人へ観戦のポイントがあれば。

 「五輪に限らず、テレビで見るのと生で見るのは違う。可能であれば、五輪の前にどこかで何かの試合を見て、生の雰囲気を味わってもらって…。五輪はまた格別なので。そこで五輪との違いを楽しんでもらえたらいいなと。テレビだと、やっぱりボールが遅く感じるんです。生で見るともっと速い。空気感も違いますし。プラス、五輪は緊張やプレッシャーが観客の方にまで伝わる雰囲気だと思っています。息苦しいというか、水の中にいるような感じなので」

 -注目しているアスリートは。

 「ロンドンやリオでともに戦ったチームジャパンの仲間たちが、東京でどんなプレーをするのか。活躍がすごく楽しみです。一緒に五輪に出たことのある選手は思い入れというか、すばらしい思い出を分かち合ったメンバーなので」

 -7歳のとき、現地でアトランタ五輪を見た。

 「記憶にはっきりと残っています。自分も台の少ないところでやりたいなと(笑)。小学生の大会って、だいたい体育館に30台とか。すごくかっこよく見えたんですよ。日の丸のユニホームを着て、さっそうと歩いてくるのを見て、モデルさんみたいって」

 -初めて五輪に出たアテネはどうだった。

 「先輩たちについていくのに必死でした。後の3回と比べたら、やっぱりいろんな部分が甘かったです」

 -ひょっとしたらメダルもいけると。

 「1回目は悪い意味で特別意識を持たなかった。北京のときも最高の準備をしたと思っていたんですが、後の2回と比べたら全然特別感を持っていなくて。『あれじゃメダル取れないよね』って、もし過去の自分がいたら言えるような(笑)。甘かったです」

 -アテネの時、家族がおにぎりを差し入れようとして会場の入り口で一度止められた。

 「のりを爆弾だと勘違いされて(笑)。しかも、銀のアルミで包んでいたから。独特な五輪ならではのことでした」

 -北京では開会式で旗手も務めた。

 「どれくらいすごいことなのか、よく分かっていなかったからお受けできたのかなって。もちろん名誉なことって分かっているんですけど…。今振り返っても貴重な経験をさせてもらいました」

 -ロンドンでメダルを取って流した涙が一番忘れられないか。

 「リオの方が泣いた感じがします(笑)。苦しかったので」

 -重圧があったと。

 「アテネと北京で取れなかったときと、ロンドンで取れたときの周りの方の反応。喜んでもらえる度数が分かっている状態でした。絶対に持って帰らないといけないと。メダルが取れなかったら日本に帰れないと思っていました」

 -そこまで…。

 「リオで何しよう?みたいな(笑)。職探し?って(笑)」

 -五輪の良さはどこにあると思うか。

 「私たちって年間に15~20ぐらいの国際大会のワールドツアーに出場していて、結局、当たる選手って同じ感じなんですよね。上位に上がってくる選手はだいたい限られていますし。ただ4年分の思いとか、気持ちが違う。五輪だからこそ発揮できる力とか…。あんなにスポーツで世界が一つになることってない。そういった場所で結果を残せるのは選手冥利(みょうり)に尽きると思います。プレッシャーが大きければ大きいほど、勝った時の喜びが大きい。そういうところなのかなって。もし五輪が、すごく小さい町の体育館とか、公民館とか(笑)、観客がだれもいなかったら、それが五輪だとしてもたぶんあんまりうれしくないのかな(笑)」

 -想像できない。

 「対戦相手とベンチしかなくて、あと審判と。10人ぐらいで『五輪ですよ』って言われて、メダルをかけてもらっても、たぶんあまり響かない。ドロドロした雰囲気の中、どれだけ自分の力を発揮できるかです」

 -選手たちはこれから厳しい代表選考会に臨む。自身の経験で支えにしてきたことは。

 「練習しかなかったです。本当に五輪レースの途中って苦しい。自分の中で感情を整理したりするのが大変で…。仲間なのにたたかなきゃいけなかったりとか。勝ってほしいって思っているはずなのに、どこかで先に負けてくれたら世界ランキングが…とか。自分の汚い部分とも向き合わないといけない。試合前に『行ってきます』ってハイタッチをみんなするけど、『100%がんばれ』って思えなかったり、先に負けた選手は観客席で勝った選手を応援しなくてはいけない。素直に応援できない自分が私は大嫌いでした」

 -東京五輪にはどう関わりたいか。

 「私が何をしたいかより、私にできることの中で周りの役に立ちたいですね」

 -ロンドン五輪のとき、メダルをほかの人たちに見てもらって、喜んでくれたのがうれしいと言っていた。

 「だれだれに勝ったということよりも、メダルをお見せしたときとかに、みなさんが喜んでくださっている姿の方が印象に残っています。特に小さい頃からお世話になっている方とか、支えてくださっている方々が、あんなにも泣いて喜んでくれたりとか。私の中でも衝撃でした」

 -福原さんは、卓球が正式競技になった1988年ソウル五輪の年に生まれた。どこかで五輪と結びついているのかなと。

 「例えば卓球を始めた1992年がバルセロナ五輪だったと聞くと、4年に1度なのでどこかでリンクするのかもしれませんが。メダルを取れたのも卓球を始めて20年でしたから」

 -五輪と他の大会、例えば全日本選手権は全然違うか。

 「まったく別物ですね。ただ、全日本の苦しさとリオの苦しさは似ているかもしれない」

 -全日本は取らなきゃ、というのがあったからか。

 「周りからの期待は途中からなくなっていた気がします。ただ、みんな思っているからこそ、取って安心させたいという思いはすごく強かったです」

 -五輪はやっぱり違う大会だったか。

 「テレビとかで映し出される選手って、みんなメダルをかけて帰ってくる選手しか撮さないじゃないですか。メダルを持って帰ってこられるもんだと…。甘かったですよね。簡単に手が届くと思っていました」

 -自身の思い出の五輪を挙げるとしたら。

 「全部すごく思い出には残っているけど、一番はリオかな。解放された感が全然ないオリンピックでした。ロンドンのときは『メダル取れた、やったぁ』があった。ロンドンのときは終わってみんなで打ち上げにいって、人生で初めてあんなにビールをのみました」

 -お酒はあまりのめなかったのでは。

 「3年ぐらい一口ものんだことがなくて。20歳のときに初めてちょっとのんだことがあって。23歳のロンドンで解放されたのもあって、初めて7杯のみました」

 -大丈夫だった?

 「大丈夫じゃないです(笑)。『福原、のめ~』みたいな感じで。分かんないから、『いただきます』って言って。中華でしたけど、2時間、一口も食べずに7杯。集合写真で一回座ったのはいいけど、立てなくなっちゃって。おんぶしてもらって。あれ以来、あんなにのんだことは一度もない。人生最高の量でした(笑)」

関連ニュース

編集者のオススメ記事

スポーツ最新ニュース

もっとみる

    主要ニュース

    ランキング(スポーツ)

    話題の写真ランキング

    写真

    リアルタイムランキング

    注目トピックス