第54代横綱・輪島さん死す さらば黄金の左 優勝14回、北の湖と「輪湖時代」

 大相撲の第54代横綱輪島で、「黄金の左」と呼ばれた左差しの攻めにより史上7位となる14度の幕内優勝を果たした輪島大士さん=本名輪島博=が下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱で、8日午後8時に東京都世田谷区の自宅で死去したことが9日、分かった。70歳。横綱北の湖としのぎを削って「輪湖(りんこ)時代」を築いた。廃業後はプロレスに転向。タレントとしてお茶の間も沸かせた。葬儀・告別式の日時は未定だが、喪主は妻の留美(るみ)さんが務める。

 昭和の大相撲を支えた大スターが天国へ旅立った。「黄金の左」と呼ばれた左差しを武器に歴代7位の優勝14回。土俵外では型破りな行動で関心を集め、ユニークな言動と人懐っこい人柄でファンから愛された元横綱輪島が、70年間の波瀾(はらん)万丈な人生に別れを告げた。

 「蔵前の星」というニックネームの通り、力士人生は輝きに満ちていた。日大で学生横綱となり、花籠部屋に入門。1970年初場所に幕下付け出しで初土俵を踏むと、強烈な下手投げ、洗練された天才肌の取り口で一気に番付を駆け上がった。72年夏場所で幕内初優勝。73年夏場所後に学生相撲出身で史上初めて、横綱に昇進した。本名をしこ名にして最高位に就いたのも初。身長186センチ、体重130キロ前後の均整が取れた肉体に、トレードマークとなった金色の締め込みがよく似合った。

 6学年下の横綱北の湖とはしのぎを削り、「輪湖時代」を築いた。対戦成績は輪島さんの23勝21敗。左の相四つでがっぷりと胸を合わせての力比べは最高の見せ場だった。本割、優勝決定戦で連勝し、逆転優勝した74年名古屋場所千秋楽は今でも語り草だ。15年11月に亡くなった当時日本相撲協会理事長の北の湖親方も生前、「みんな輪島さんの左がすごいと言うけど、右のおっつけが強烈だった。だから左の下手投げを食うんだ」と脱帽していた。

 地方場所では高級ホテルに泊まり、大型車リンカーンコンチネンタルで場所入り。腕時計や衣類を高級ブランドでそろえるなど土俵外での派手な振る舞いでも世間の注目を集めた。81年春場所限りで引退。花籠親方となって部屋を継いだが、まげを落としてからは苦難が続いた。

 年寄名跡を借金の担保に入れたことが発覚し、85年12月には廃業に追い込まれた。86年には全日本プロレス入り。2年余りで退くと、今度はタレント活動でお茶の間を沸かせた。その後はアメリカンフットボールの社会人チームの総監督を務めたりもした。約5年前の咽頭がん手術で声が出なくなるなど、近年は病と闘った。昨夏には息子の大地さんが天理(奈良)の控え投手として甲子園出場も、体調が思わしくなくスタンド観戦はできなかった。

 最後は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱で、都内の自宅で息を引き取った。その圧倒的な存在感で土俵を沸かせた輪島大士。不世出の大横綱が残した功績は、永遠に色あせることはない。

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