【悼む】輪島大士さん 天龍の喝に奮起「オレをこけにしたら承知せん」    

 大相撲の第54代横綱輪島で、「黄金の左」と呼ばれた左差しの攻めにより史上7位となる14度の幕内優勝を果たした輪島大士さん=本名輪島博=が下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱で、8日午後8時に東京都世田谷区の自宅で死去したことが9日、分かった。70歳。横綱北の湖としのぎを削って「輪湖(りんこ)時代」を築いた。廃業後はプロレスに転向。タレントとしてお茶の間も沸かせた。

  ◇  ◇

 輪島さんはトラブルから花籠親方の名跡を返上。1986年4月、全日本プロレスに入団した。38歳の転向会見で「裸になって、裸になったから、また裸でスタートする」と、再起にかける覚悟を口にした。

 ジャイアント馬場さんの陣頭指揮で米国特訓。8月の初陣から3戦を経て11月1日、故郷の石川県七尾総合市民体育館で国内デビュー。タイガー・ジェット・シンを相手に両者反則で引き分ける奮闘で一大フィーバーを巻き起こした。

 12月には日本武道館で馬場さんとコンビで元AWA王者リック・マーテル組と対戦。“黄金の左”を生かしたゴールデン・アームボンバー(ノド輪落とし)でトム・ジンクを仕留めて東都デビューを白星で飾った。

 87年はリック・フレアーのNWA世界王座に挑戦。スタン・ハンセンともPWF2連戦を行った。メーンイベンターに定着したことで気の緩みも出たが、天龍源一郎に喝を入れられ「オレをこけにしたら承知せん」と怒りながら再び奮起した。

 巡業では興行でお世話になった日大相撲部OB関係者との付き合いもあり、1人で移動するケースも多かった。新幹線に同乗した際は悩みを吐露し「口が切れ、歯もガタガタ」と、口を開けて見せてくれたこともある。電話の「コレクトコール」を「コレステコール」と言い間違えるなど輪島語録も豊富だった。

 そんな輪島さんも88年は3年目の壁にぶち当たった。長州力が新日本にUターンした全日本マットは天龍同盟が主役になった。輪島さんの影も薄くなり、国内デビューから2年で引退した。短い期間だったが、プロレス記者として元横綱のプロレス挑戦を見届けられたのは貴重な体験だった。合掌。(デイリースポーツOB・宮本久夫)

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