石黒修氏が死去 戦後初の日本人プロテニス選手

 テニスで戦後初の日本人プロとして知られる石黒修(いしぐろ・おさむ)氏が9日午前5時50分、腎盂(じんう)がんのため東京都江東区のがん研有明病院で死去したことが、10日分かった。80歳。長崎市出身。葬儀・ミサは15日午後1時から、告別式は午後2時から、いずれも東京都渋谷区南平台町18の13の聖ドミニコ・カトリック渋谷教会で。喪主は長男実(みのる)氏。

 俳優の石黒賢の父で、慶大卒。強力なスピンサーブを生かした攻撃テニスで、61年には前年のウィンブルドン王者、ニール・フレーザー(オーストラリア)を破る金星を挙げた。1971年に戦後初めてプロ転向。時代の変換点をつくり、錦織圭の活躍に沸く現在へと続く未来の扉を開けた。

 全日本選手権はシングルスとダブルスで各3度優勝。四大大会では65年の全豪オープンの男子ダブルスで渡辺康二氏と組んで8強入りした。シングルスでは全豪とウィンブルドンで3回戦、全仏オープン、全米オープンでは2回戦に進んだ。国別対抗戦のデ杯の代表としてもプレーし、65年には監督も務めた。

 72年に日本プロテニス協会を創設し、初代理事長に就任。セイコー・スーパー大会の日本大会に尽力した。

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