【69】痛恨の飛球事故 二度と起こさない決意の取り組み
「日本高野連理事・田名部和裕 高校野球半世『記』」
その事故は21世紀を迎えた最初の年に起きた。2001年8月の大会第4日目の第4試合で点灯試合だった。試合はすでに後半戦に入り、僕もこの時間帯は仕事を終えてネット裏から観戦していた。
左打者が内角球を払うようにして振ると、打球は一直線に一塁側アルプススタンドに飛び込んだ。その辺りでパッと人が避けるような動きがあったのでまさか事故になっているとは思わなかった。
高校野球ではブラスバンドの応援は、自校の攻撃の時だけと決められている。だからこの時一塁側チームのブラスバンドは演奏をしていなかった。打球はそのブラスバンド席に飛び込み、下を向いて楽器を拭いていた女生徒の目を直撃した。
直ちに球場係員らの手配で4分後に救急車で病院に搬送したと記録されていたが、迂闊にも当日試合後のミーティングではこの事故の報告がなかった。
翌日早朝球場に行くとすぐさまこの事故報告に接した。昨夜緊急手術をしたが打球を受けた右目の視力回復は難しいとのことだった。
さっそく主催者として相手校の校長と一緒に痛恨の思いで病室を見舞った。本人はまだ失明のことを知らないでいたので余計に難しいお見舞いだった。
とても長い時間はいたたまれず「早く良くなって下さいね」と声をかけ退出しようとすると、S子さんが「先生、打った生徒はこの事故のことを知っていますか」と尋ねた。
校長は突然の質問に戸惑いながら「いやまだ伝えていません」と答えた。S子さんは「次の試合に影響するといけないから本人には言わないでください」とはっきりした口調で返した。
「なんと気持ちの優しい子なんだろう」。病室を出ると涙が出た。S子さんが一日も早く復学できるよう、できる限りの支援をしようと誓った。もちろん二度とこのような事故を繰り返さないための対策を協議した。
応援席でいつごろからブラスバンドが演奏するようになったか資料はない。しかし、この生徒らに一般の観戦者と同様のファウルボールに対する注意義務はないと考えるべきだ。
では主催者や出場校は事前にブラスバンドの事故防止にどのような指導をしていたか、残念ながら全くできていなかった。
ブラスバンドを飛球事故から守るには“ぶどう棚”のような設備があればよいが、これは避難時の防災上問題があるという。そこでアルプス席の内野側フェンス際に約90人分のブラスバンド席を設けシールで明示した。そして内野席との仕切りのネットにさらに2メートルのネットを臨時に継ぎ足した。
この防御ネットは以後毎大会設置、撤去している。ブラスバンドの活動はこの指定した席内に限ることとし、出場校の野球部員にグラブをもって周囲を警戒するよう求めた。
翌年の選抜大会と選手権大会で、全試合のスタンドに入るファウルボールを調査した。春は全数が272個、1試合平均9・7個。夏が531個で、同11・6個だった。やはり一塁側ベンチ上の中段が最も多く、続いて同様に三塁側の同じ付近が多かった。
一方、飛球事故は都道府県でも起こる訳で、使用する球場の飛球状況調査とブラスバンドへの注意喚起を要請した。【1】試合中、常にファウルボールへの注意喚起をアナウンスする、【2】飛球の多い場所に笛などをもって警戒する係を置くなどを要請した。このほかプロ野球にも呼びかけ『野球場にはグラブをもっていこう』やファウルボールを観戦者に贈呈する提案をした。
全国大会では翌02年からファウルボールは贈呈している。より飛球に注意してもらうためだ。スタンドでグラブを持った少年たちが待ち構えている。
以後、15年間ブラスバンドの飛球事故は起きていない。事故の絶無を願うばかりだ。