【39】優勝旗が行方不明…女将さん、主催者、業者の好連係

 「日本高野連理事・田名部和裕 僕と高校野球の50年」

 1954年夏の優勝校・中京商の校長室から深紅の大優勝旗が盗まれ後日発見される不思議な事件があった。実はある年、地方大会優勝旗が大会直前で行方不明となる騒動もあった。

 九州からやってきたN学園、大会の3日前に大阪・伊丹空港に着いた。一行は初出場ということもあり、空港には関西在住の関係者が出迎え、宿舎まで手配されたタクシーに分乗した。

 もちろん荷物は係が決められていたが、タクシーの前でまごまごしていると「行き先は決まっているからどれでも乗れ」との声。次々に宿舎に到着、部屋割りに従って荷物を整理したところ、地方大会の優勝旗がない。

 引率の先生たちは青くなった。空港では確かにあった。チームが滞在したのは甲子園球場から徒歩5分余りの網引旅館だ。

 ご主人は元全国大会の審判委員で、僕の大学時代の監督さんでもあった。女将の秀高節子さんは、どうも生徒らの様子がおかしいと気付いた。2日目の朝、「お通夜みたいな雰囲気の食事、うちの食事が口に合わないのか」と心配して指導者に尋ねたところ、優勝旗の行方不明を知った。

 どこのタクシー会社か分からないので調べようもなく、とりあえず女将さんは甲子園警察署に内々に相談した。

 さらに日本高野連事務局に親しい人がいるから相談しようと言ったが、先生たちはあの佐伯達夫会長に知れたら大事になると固辞した。「でも明日はリハーサル。じっとしていても何も解決しない」と女将さんは僕に電話をしてこられた。夜の7時ごろだったように思う。

 早速朝日新聞に出向いて善後策を相談した。

 同社資材部の担当者が納入業者の京都・西陣の平岡旗製造所に連絡してくれた。すると夜9時過ぎに社長とスタッフ2人が車で名神を飛ばしてやってきてくれた。

 「作業場を借ります」と、2階の会議室の机を寄せて赤い生地を取り出して作業を始める。納品した優勝旗の写真を見つめながらデザイン通りに絵筆でペンキを塗っていくではないか。「明日の朝までには仕上げますからご心配なく」と平岡昌高社長。

 周囲の金モールも持参しており完成次第ミシンで縫いつけるという。翌朝早く、完成した仮優勝旗が宿舎に届けられた。

 リハーサルは各社のカメラも本番さながらの位置取りで取材をするが、誰もこのことに気付かなかった。リハーサルが終わるころ、当該のタクシー会社から優勝旗が宿舎に届けられた。最初の引き継ぎ時にトランクを開けなかったから生じたという。

 同校はこの事件が表ざたになることなく、無事1回戦を突破した。

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